「ひーまつ。上野お山あたり散策」 | 徳川わ廣 のブログ

徳川わ廣 のブログ

アメーバは比較的にソフトに書いてます
「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

昨日ハ、日本史跡研究会 天台宗 中尊寺金堂展、上野山周辺史跡をば回つてきた。参加者が研修終わつてから、歩数計をば吟味したら二万二千歩超えていたそうだ。展示の藤原清衡の鍍金の棺、御本尊脇仏を見た。そして次の祉跡眼目しに行く。

お山の中にある摺鉢山古墳は此の地、生まれ育ちの者だか気ずかなかつたねひ、登リ 上から見れば前方後円墳の形が良く判る。御江戸の開発前には古墳の上に五條天神の社が有ったが 今はお山の中の不忍池側に移されて居る。


彰義隊の墓 西郷像の辺りの桜は咲いていた。
昨年の暮れは暑く 春は弥生に至り真逆と為り 寒風の中、他はつぼみも無い中尓、満開の桜威に引かれて人々は群れる。

(東照宮)

お山東照宮も周り他史跡へ進む。谷中に次の壱萬圓札の肖像になる 渋沢栄一の墓周りが綺麗に為つていた。
叉、幼児より徳川の御支配となつた、寺社仏閣を徳川縁起事の元日や江戸開闢の八朔に良くこの辺ハ来ていたが、渋沢栄一墓周りは囲いおおわれて見聞は出来なかつた。
けふは墓前まで寄せる事が出来やがるので、栄一の墓にみずほカード差し込み、
「上意。十億振り込め、勿論 カツ上げだ。」と、素直な祝詞申し述べる。


日暮里の太田道灌像前で夕方となり、研修散策は可否店で休息と解散と為った。日暮里名物 羽二重団子を買い損ねて研究会会長は悔やんでいたが上州高崎に帰つたよ。


昨日の行ひ、明けて、けふの為スべき事ハ、有る。
二年ほど横須賀に住んだのハ、先祖 北条得宗家、衣笠城 三浦吉村 ペルリ来航の地だからだ。次は京にすべひか、何処にすべひか、縁起ヒットして、横浜。
後北条 早雲 氏綱と氏尭(うじたか)の爺様の地にした。
住み替えて しと月半程、やつとこさ 調度押し込んで、残るは段ボール二つ程、

な。
世間様は まる一日の暇をば持つのも大変だ。御勝手に行く途中に、二つの段ボールの中の物をば手に取り、
沈と見つめ、青く考へて、
段ボールに、


ポイ。

カフェに 行く

御上 わ