鎌倉殿の十三人 、どうする家康 、洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )


22/師走18

本日で、鎌倉殿十三人 スペシャルでお仕舞い、

来年は卯年大河ドラマ
 どうする家康

駄作だとしか云いようがない、数十万余兵で敵を取り囲み 大将北条が苦悩している間に敵が苦悩して自殺してくれる、みーんないい人にする為の妙なドラマであり、戦中に敵と子供マンガみたいに喋りまくる 
御味方衆乖離した、“示しのつかぬ“ 物と見てる、
代理方方は実際に行われた印象操作と、棄て置き残った、天皇(上皇 法王)が、陣だてを呼びかけて 命令 指揮を取ったと“考えるのは“、陛下の 御こころ からすれば、いとわしい 事です“、
御内緒です、と、此のドラマ最終回迄“まわりの人が行なったから“ という落ち付けるのかな?
談判の時は過ぎた、討つ、という表現を避けるかと、見てる、
まへに、
明仁上皇 と #御内緒とは、の、話しをばして、“宣 、みことのり“の話もした、聞いたが、うろ覚えだ、忘れたと私は言ふ、
(Twitterより長文へ、)

来年卯年は「 どうする家康、」
家康祖父は三才で母に抱えられ出陣、父は少年で確立、家康も幼児、人質中に裏切られず当主になる、徳川オールドの冷徹さは家康祖父、父も二十代でオールド達に殺され、家康は信長の同盟から君子信長の敵視避けと臣従から、嫡男正妻スタッフも殺す


家康久方ぶりの大河ドラマだが、
徳川幕府磐石のかなめに、衰退させて、滅ぼした豊臣秀頼は孫になる、
大阪城炎上の時に話し相手は、公儀に嫌気をさして、内向的に成り、国元に帰ってしまう “関ヶ原のきっかけを作った豊臣五大老上杉家の者だった、
多分家康は“上杉殿、秀頼公には天下安寧を願い、説得したが、このような仕義に至った“ぐらいの話しはしたろう、

現代語にすれば、上杉さん よく戦ってくれた、
見ろ燃えてる、

儂がやった、
ドラマ、どうなる??家康




所蔵 姫路藩酒井雅楽頭 大阪蔵屋敷出入り絵師 難波の絵描きさんウサギ掛軸、肩幅 フリー画像

関東の先祖達物語 叔父が大河内松平から長尾景春(上杉家、太田道灌)子孫と知り凄いな と、思った
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