久しぶりにパチンコ話し。

前回は羽モノ時代の話だったかな?
トキオの攻略法やらマジックカーペット、ローリングマシン、あっ!!ちんどんや、なんてのもあったな。高校3年生の頃で夢中でやっていた頃。
連荘モノが出たのもこの頃、好きだった。三共のフィーバーシリーズもアバンテで一区切りついたのか
お得意のエキサイトキングも埼玉の某市では1軒だけしか無く、程なくしてはずされてしまった。
そして出てきたのがドンスペシャル3(スリー)一旦大当たりすると保留玉で連荘するという今では考えられないくらいドル箱が早く積まれていった機種、最高は9連荘。勿論単発の事もあるし、2連荘もあれば6連荘もあった。今の確変連荘の元祖とも言うべき機種だった。
当時、保留連荘はあっても自力連荘で3連荘が限界(アバンテ等)だったから魅力的だった。
89年頃かな?
その後は西陣の花鳥風月などの連荘台がでてくるものの羽モノの衰退、一発台の撤退(御上からの指導で)などなどでパチンコ屋から足が遠のいて行くのだが、パチ業界に新たな風が吹き始める。
平和のフィーバーパワフル、綱とり物語、三共のフィーバーキングの登場を迎える事になる。
私が二十歳の頃の話だ。
特に綱とり物語は「天国モード」「地獄モード」があると噂された台で電源を入り、切りする事によってモードが変わると言われていた。現に開店時綱とり物語目指して並んだ客は多かったし(その日最初に電源が入った状態で打てる為)今はもう閉店したが私がよく通った川越の某店では時間帯を決めて電源の入り、切りをやってくれていた。
以前ほどのドル箱を積み上げられる連荘はなかったがそこそこ箱を積んだ記憶がある。
この頃得意としていたのがフィーバーキングだったり、一発台に近いシャトル21という(アレンジボールなんていう機種)そんな台を打っていた。

そしてCRというものが出てくるのはこの後しばらく後の事になる・・・・