昭和天皇は歴代の天皇のなかで、一番身近な天皇です。もちろん同時代を生きたことが最大の理由ですが、それだけではありません。同時代と言うなら、平成天皇(現上皇様)や令和天皇の方が年齢も近い。しかし、お会いしてみたい、お話を聞いてみたいと思うのは断然昭和天皇なのです。一番の魅その雰囲気です。ユーモラスな中になんとも言えない威厳を感じるのは、わたしだけではなありません。
もし、悩みを相談したら、
(あっ、そう。)
の一言で片付けられそうでせ。そして、それが叉小気味良いのです。
その88年の生涯は波乱万丈そのものでした。波乱万丈と言うのは言葉を変えれば、苦悩の連続だったと言うことです。特にその前半生は戦争に翻弄され、後半生は日本再生の先頭に立たれみした。象徴としての役目を見事に果たされたのです。友人に昭和天皇の物まねのうまい男がいました。
(第18回、東京オリンピックの開会を宣言します。)
ビンボイントで私の琴線に深く触れました。このフレーズが時々心に甦ります。あれは本物の昭和天皇の声だったのか、友人の声だったのか今では定かではありません。
昭和天皇の最初の試練は、摂政の宮暗殺未遂事件です。大正天皇のご病気で、急遽摂政になられた裕仁親王(後の昭和天皇)を無政府主義者の難波大介が襲いました。武器はステッキ式散弾銃です。幸い、玉はそれて摂政の宮には怪我はありまませんでした。難波大介は大逆罪で、すぐさま死刑になります。関東大震災による社会不安。追い討ちをかけるように甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝虐殺事件が起こります。このように時代は昭和恐慌に突入する前夜です。昭和天皇にはにはどんな暗い時代が待っているのでしょうか。
次に昭和天皇が時代の表舞台に現れるのは226事件です。農村の苦しさに心を痛めた陸軍の青年将校が、軍を率いてクーデターを起こします。天皇親政による国造りを目指しました。高橋是清大蔵大臣。斎藤実内大臣。渡辺錠太郎教育総監が相次いで殺害されましたが、岡田啓介総理大臣は人違いで命拾いをしました。この事件で最後まで青年将校の壁になったねが昭和天皇です。断固討伐を主張しました。悲しいのは青年将校ですしゅ。自分達が担いだ天皇の命で刑場の露て消えたのです。
最後に(ご聖断)の話をしましょう。沖縄が玉砕し、東京は無差別の空襲で焼け野原になります。陸軍は(本土決戦)を唱え終戦工作は暗礁に乗り上げます。万策尽きた鈴木貫太郎首相は、最後の決断を昭和天皇には委ねます。昭和天皇の決断は揺るぎのないものでした。
(余は外務大臣に同意である。)
こうして、ポツダム宣言は受諾され、日本はなんの混乱もなく終戦を向かえたのです。昭和天皇はマイクの前に立ち、自ら日本国民にふ呼び掛けました。
(耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び)
天皇のお言葉が日本を救いました。