朝日
恥ずかしい話なんだけんどさ、この年んなって、ようやっとタイトルに書いた、人生にゃ限りがある、つっつうことぉ、みしめてかんげぇるようになってきたんさ。
まだまだ、お一人様の私は、パートの仕事に、家事に追われてべぇなんだけんど、まいんち、まいんち、やることだきゃやって、自分なりに暮らしてって、おしまい(お終い)ん時がきたら、どこでお迎えが来たっても、「ああ、良い人生だったいなぁ」とゆいるように逝きてぇと思うんさ。
今まだ68なんだけんど、いつお迎えが来るか、なんつうこたぁ分かんねぇし、逝く時の支度をちゃんとしとかねぇと、そん時んなって逝くに逝けねぇで、この世に未練残すことになるような気がするんさ。
夏前に「キップをなくして」(池澤夏樹 著)っつう本を久しぶりに読みっけぇしたんだけんど、読んだあとに、死ぬ準備をちゃんとやっとくべぇと、思うようになっんさ。
「キップをなくして」
朝日に輝く桜の葉っぱ
やっぱりさ、大事なことだと思うんさ。
まぁ、身の回りの始末もやってがなきゃなんねんだけんど。
気持ちの方の事もあらいね。
金の使い道にしたって、良いなりぃ(身なり)するんに使ったり、たけえ(高い)もんを食うんに使ったりするよりか、後んなって、あん時の旅行は良かったいなぁ、良い人らと知り合って良かったいなぁ、と思いるような金の使い方をしてぇとおもんさね。
もっとも、今のパート収入じゃ、食っていぐんにやっとこさぁで、ハナっから贅沢なこたぁやれねんだけんどさ。
まぁ、まいんち、無理はしねぇで、精一杯やって、どこまで成長できるか分かんねぇけんど、私が生きてるっつう事だけでも、誰かしらの役には立ってんじゃねぇかなぁと思いながら、やってぐしかできねぇやね。
ある人がゆってくれた、「置かれたとこで咲きなさい。咲くとは笑って暮らすことです」を自分に言い聞かせながら、やってぐべぇ。
しまいまで、ありがとうございました。
またね(^O^)/