今回の更新は大釜翼です!
当初の予定のように、1本の映画を、3人で見て、感想を書いていくのは、
少し大変だったので、
「もうそれぞれが好きなもの見て、感想書けばいいじゃん!」
ってな感じになりました!笑
なので、アンケート結果をもとに、
それぞれが、それぞれの映画の感想を書いていきますので、
どうか温かい目で、読んでみて下さい!(>人<)
というわけで、今回はアンケートで第2位だった『座頭市』です!
僕は『座頭市』を見るのは2回目なのですが、
最初に見た時は、「おもしろい」というだけの感想だったので、
今の年齢になって見て感じたことを書きたいと思います!
大きく分けて、
①「映画のいろいろな人間のタイプ」についてと、
②「ビートたけし演ずる”市”は盲目なのかどうか」
について書きます!
まずは、映画を通して、様々なタイプの人間を見て、思ったことを書きます!
銀蔵一家を始めとする、他の人の人権や公平・正義などまったく考慮しないような人々は、自分たちだけの利益を考えて行動していました。また、その権威者たちは自分の力ではなく、他人の力を利用して、その場を治めていたので、用心棒がやられるとすぐに一家全体が崩れていきました。
また、個人でいると、そこまで悪い人ではないのに、群れると悪になってしまう人間の弱さというような印象も、こどもにお駄賃をあげるシーンから感じました。
浅野忠信演じる浪人、服部源之助は愛する人の病気を治すために、どんな仕事でも厭わないといった人間でしょうか。そんな姿勢をメチャクチャかっこいいと思う人もいると思います!しかし、妻の方は、自分のために、愛する人が人を殺しているということが耐えられず、命を絶ちました。。このテーマだけでも1本の映画ができそうな!笑
みなさんだったら、どんな選択をとりますか??(> <)
的屋の二人はラスボスだったんですね!笑
素性を隠し、世間に身を浸し、自分たちの島を監視しているような印象を受けました。二人とも、一般的に言う「ダメな人間」をわざと演じているのが、恐いですね。とても頭は良いと思いますが、感覚を研ぎすましている、市には勝りませんでした。
勝手な、僕の感想なので、いろいろな意見はあると思いますが、いろんなタイプの人間がいて、面白かったです!
そして、そして。。。
ネットでも意見が分かれていますが、市は本当に盲目であったかどうかです!!!
本当に盲目であろうが、わざと目を閉じていようが、肉眼で見ても感じ取れないものを市は敏感に、瞬時に感じ取れるところが、彼の強さであると思うため、どちらでもいいと言えば、どちらでもいいと思います。
しかし、僕の性格上、どっちでもいいと言われると、モヤモヤ感が残るので、自分の考えを!笑
僕は目が見えていたと思います。
最後の市が石につまずいて転ぶシーンで、「いくら目ん玉ひんむいても、見えねぇものは、見えねぇんだけどな」という台詞から、目が見えていたと、シンプルに僕は受け取りました。
あれほど、心の内が読める人が、「本当は目が見えないけど。。」というようなはったりを言うようには、僕には思えないからです。
では、何故、わざわざ盲目であることを演じていたのでしょうか。
それは、既に少し書いたように、感覚を研ぎすますためだと思います。
あえて、ハングリーな環境を自らつくって、必要な感覚を高める。
だから「目が見えない方が、都合がいい」とも市は言っているのではないでしょうか。
つまり、正確に言えば、”盲目を演じている”のではなく、”ただ目を閉じているだけ”とさえ、あえて言うことができるのではないでしょうか。
すべてあればいい、すべて整っていればいい、というわけではない。
乙武さんの発言や生き方を見ても、僕はそう感じます。
数々の成功者も、あえて厳しい環境に身を置く、というような話もよく耳にします。
この映画では、ハングリーな環境に身を置くというのを、完全にふりきったから面白いとも感じました。
普通に考えたら、目が見えないから、強いはずがない。
だけど、市はあえて目を閉じることで、視覚や嗅覚や間合いなどを研ぎ澄ませ、だからこそ強かった。
分かりやすい例で言えば、いくら相手の話を聞いたり、表情を見ても、心の中は分からなかったり、音楽を聴く時は、自然と目を閉じたくなったりしますよね。
みなさんは市は目が見えていたと思いますか?
どんなに良い環境にあっても、研ぎすまさないと一流にはなれない。
逆に言えば、どんなに悪い環境にあっても、研ぎすませば一流になれる。
人によって、感じ方は違うのかもしれませんが、僕は勇気をもらいました。
僕にとっては、いろんなことを考えた映画です!
音楽やミュージカル要素、監督として演出するビートたけしのユーモアなど、中学生の時に感じた、いい意味で、”単に”面白くもありました!!(^ ^)
当初の予定のように、1本の映画を、3人で見て、感想を書いていくのは、
少し大変だったので、
「もうそれぞれが好きなもの見て、感想書けばいいじゃん!」
ってな感じになりました!笑
なので、アンケート結果をもとに、
それぞれが、それぞれの映画の感想を書いていきますので、
どうか温かい目で、読んでみて下さい!(>人<)
というわけで、今回はアンケートで第2位だった『座頭市』です!
僕は『座頭市』を見るのは2回目なのですが、
最初に見た時は、「おもしろい」というだけの感想だったので、
今の年齢になって見て感じたことを書きたいと思います!
大きく分けて、
①「映画のいろいろな人間のタイプ」についてと、
②「ビートたけし演ずる”市”は盲目なのかどうか」
について書きます!
まずは、映画を通して、様々なタイプの人間を見て、思ったことを書きます!
銀蔵一家を始めとする、他の人の人権や公平・正義などまったく考慮しないような人々は、自分たちだけの利益を考えて行動していました。また、その権威者たちは自分の力ではなく、他人の力を利用して、その場を治めていたので、用心棒がやられるとすぐに一家全体が崩れていきました。
また、個人でいると、そこまで悪い人ではないのに、群れると悪になってしまう人間の弱さというような印象も、こどもにお駄賃をあげるシーンから感じました。
浅野忠信演じる浪人、服部源之助は愛する人の病気を治すために、どんな仕事でも厭わないといった人間でしょうか。そんな姿勢をメチャクチャかっこいいと思う人もいると思います!しかし、妻の方は、自分のために、愛する人が人を殺しているということが耐えられず、命を絶ちました。。このテーマだけでも1本の映画ができそうな!笑
みなさんだったら、どんな選択をとりますか??(> <)
的屋の二人はラスボスだったんですね!笑
素性を隠し、世間に身を浸し、自分たちの島を監視しているような印象を受けました。二人とも、一般的に言う「ダメな人間」をわざと演じているのが、恐いですね。とても頭は良いと思いますが、感覚を研ぎすましている、市には勝りませんでした。
勝手な、僕の感想なので、いろいろな意見はあると思いますが、いろんなタイプの人間がいて、面白かったです!
そして、そして。。。
ネットでも意見が分かれていますが、市は本当に盲目であったかどうかです!!!
本当に盲目であろうが、わざと目を閉じていようが、肉眼で見ても感じ取れないものを市は敏感に、瞬時に感じ取れるところが、彼の強さであると思うため、どちらでもいいと言えば、どちらでもいいと思います。
しかし、僕の性格上、どっちでもいいと言われると、モヤモヤ感が残るので、自分の考えを!笑
僕は目が見えていたと思います。
最後の市が石につまずいて転ぶシーンで、「いくら目ん玉ひんむいても、見えねぇものは、見えねぇんだけどな」という台詞から、目が見えていたと、シンプルに僕は受け取りました。
あれほど、心の内が読める人が、「本当は目が見えないけど。。」というようなはったりを言うようには、僕には思えないからです。
では、何故、わざわざ盲目であることを演じていたのでしょうか。
それは、既に少し書いたように、感覚を研ぎすますためだと思います。
あえて、ハングリーな環境を自らつくって、必要な感覚を高める。
だから「目が見えない方が、都合がいい」とも市は言っているのではないでしょうか。
つまり、正確に言えば、”盲目を演じている”のではなく、”ただ目を閉じているだけ”とさえ、あえて言うことができるのではないでしょうか。
すべてあればいい、すべて整っていればいい、というわけではない。
乙武さんの発言や生き方を見ても、僕はそう感じます。
数々の成功者も、あえて厳しい環境に身を置く、というような話もよく耳にします。
この映画では、ハングリーな環境に身を置くというのを、完全にふりきったから面白いとも感じました。
普通に考えたら、目が見えないから、強いはずがない。
だけど、市はあえて目を閉じることで、視覚や嗅覚や間合いなどを研ぎ澄ませ、だからこそ強かった。
分かりやすい例で言えば、いくら相手の話を聞いたり、表情を見ても、心の中は分からなかったり、音楽を聴く時は、自然と目を閉じたくなったりしますよね。
みなさんは市は目が見えていたと思いますか?
どんなに良い環境にあっても、研ぎすまさないと一流にはなれない。
逆に言えば、どんなに悪い環境にあっても、研ぎすませば一流になれる。
人によって、感じ方は違うのかもしれませんが、僕は勇気をもらいました。
僕にとっては、いろんなことを考えた映画です!
音楽やミュージカル要素、監督として演出するビートたけしのユーモアなど、中学生の時に感じた、いい意味で、”単に”面白くもありました!!(^ ^)