最近、教育従事者の性犯罪が全国報道されることが増えてきました。
正直なところ、私は未成年の子どもを指導する立場にいる教師がそのような犯罪を犯すことがあることをあまり意外だと感じていません。

私は在学中、先生は先生という生き物だと思っていました。
たとえどんなに嫌いな先生であっても、理不尽な怒り方をする問題教師でも、二日酔いで頭が痛いと愚痴を吐く先生でも、どこかで先生としての最低限の正しさを持っていると信じていたように思います。
先生がどんな人間なのか知る機会は非常に少ないです。
どんな家庭を持っている人で、どんな人柄なのかについて話題になることはありません。
つまり、子どもだった私の前にいたのは人間ではなく概念としての「先生」でした。

だから、突然校内の先生同士が結婚したとなるとざわつきます。
それは、プライベートが垣間見えるからではないでしょうか。

その認識が変わったのは、大学に入って教育学部に通う学生をみてからでした。
先生たちは、もともといろんな嗜好やエゴや価値観を持った人間だったのだと実感しました。
先生になりたいと思っている学生が、ほかの学部の学生以上に誠実で性に関心も薄く、理性的だなんてことはありません。
その当たり前のことに、大学に入って初めて気づきました。
そこで、「あ、先生は人間だったのだ」と理解しました。

では、先生は人間味をそぎ落として、先生という役割と概念に徹すればよいのでしょうか。
一概にそれが正しいとは言えません。子どもたちとの信頼関係は学級運営の上で必要不可欠だろうからです。
また、自分よりも立場が上でしたがうべき大人との集団生活という経験は社会に出る前に必要です。

結局は、先生が人間としていろいろなことを思ったり感じたりすることを事前に防ぐことはできず、その後の行動を理性的に行う義務を果たさせる以外にないのだと思います。

教育実習生が来た時のことを思い出しました。
普段の先生よりも自分たちに年齢が近い実習生が学校に来る。
男子生徒たちの間では実習生がかわいいかどうかの話題が出ていたし、かっこいい先生に対しては女子生徒たちからからかい交じりの歓声が飛んでいました。
実習生がその延長線上に先生という仕事があると勘違いしてしまうのはまずいです。

語弊がありますが、端的に言うと、学生がテーマとされたアダルトビデオを好んでみる教師がいたとしてもそれをクビにするシステムづくりは難しく、そういった人たちが現実とエンタメを切り分け、出会いを求めてもよいプライベートと、責任をもって淡々と仕事をこなす時間を切り分けることが必要だということです。

この問題、効果的な事前対策がほぼないことが、一番の難点です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a22a08e42516ac651be70519bc9f61804d6f929f

記事にある通り、行政も対策はしていくものの、あくまでも教員免許の再交付に関するものです。
つまり、1件目の事件、ある教師の本性が公になるきっかけとなる事件を防ぐ有効な手段がないのです。
一件目の被害者を救えない。
被害者を減らせてもゼロにできない。


歯がゆいですし、お子さんを育てている親御さんにとっては不安ですよね。

どんなケースであっても、学生側から執拗に教師を誘ったとしても、悪いのは先生側でそれは当然です。
しかし、先生側が事件を起こす可能性を0にできないのであれば、学生側、学生の家族側でできることはしておきたいですよね。
日頃の対話や、個人的な悩み相談を家族や友達にできているか(先生しか頼れる人がいないという状態をなくす)、大人とのかかわり方など、家庭側で対策できることもありそうです。
子どもたちに、先生も裏ではただの人間であることを知らせるのも手かもしれません。
盲目的に大人が正しいと信じ従うような思考だけは避けたいですよね。

とにかく、こんな事件が早く根絶されることを願います。