先日、東京都内で行われたある映画の上映会に参加してきた。
その短編映画のタイトルは

「まだ見ぬ あなたに」

高校生同士の間で妊娠し、家族も学校も味方になってくれない中で自殺をも考える女子生徒と学校の図書室の司書さんとの物語だ。

Enlight(HP↓)という団体が実施したこの上映会で、私が思ったことはただ一つだった。

http://enlight-fostercare.com/event/1197.html

「当事者不在の恐ろしさ」である。

女生徒のおなかの中に宿った赤ちゃんはしゃべらなければ泣くこともない。
職員室で、男子生徒とその家族、女子生徒とその家族、学校の三者が話すシーンがあるのだが、あの場に子供の立場の当事者は存在しただろうか。
生まれていない子供の意思を汲むのは不可能だが、間違いなくあの場で最も弱者であるのはおなかの中の赤ん坊である。そしてその命の代弁者はだれもいなかった。
それが怖いのだ、あの場の人間に、「何人で話し合っているんだ?」と質問を投げかけたときに、赤ん坊の人数を入れる人がどれだけいるだろうか。
それだけ、「あの場にはいないこと」になっている現実に驚愕した。

子供は言葉を持たない。だからこそ、存在するはずの当事者が多くの人の認識から消えてしまう。
あの場で女子生徒が生まれたばかりで産声を上げている赤ん坊を抱えていたらそこにいる何人かは気持ちが変わっただろうか。
それは愛情が芽生えるから?赤ん坊が生きていることを実感し、罪悪感を感じるから?

みんなが自分のことで精いっぱいなのはわかります。

しかし、声を上げることができない命がそこにあるのを忘れないでいただきたいです。

総合的にいろいろなことを考えさせられる映画でした。
・赤ん坊の命
・生みの母親の苦労
・未成年への性教育の必要性
・学校側の対応の是正

生まれてくる赤ん坊を取り巻く問題はとてもたくさんあります。
だれかが赤ん坊の代弁者として当事者意識を持たなければ。

そう思います。

観る人によって感じ方が全然違う、いい映画だったと思います。
機会があればぜひ見てみてください。