私は、昭和63年に、

愛媛の工業高校を卒業して、

大阪羽曳野市の会社の寮へ入り


保線屋となった


あっという間に、33年が過ぎて、

早くも52歳を迎えようとしている😱


先輩に教えてもらった。

今やファスナーになってしまったが、

編み上げの安全靴の紐の結び方

今も忘れない‼️


幼くして父親にもなり、子供や妻には、

周りと同じ生活をさせてやりたいと、

上司に使って貰える様、必死で仕事を覚え、

頑張ってきた💦


線路の点検、レール交換や、マクラギ交換、

草刈り、工事の監督もした。


事故の現場で、命の終わりも見てきた。


震災も経験し、台風の日も、雪の日も、橋の上も、高架橋の上も下も、昼も夜も仕事


妻には居て欲しい時には、家に居ないと罵られ

離婚も経験した。


スーツ組にもなり、デスクワークも経験したが、


現場が好き❣️


現場に居られる事にこだわった。


役職も付き、部下も出来た。


今では、仕事への想いも変わり、

お客様が、より快適で安全に‼️

鉄道従事者として、プライドを持って、

出来ることをしようと思う様になり、

後進へ伝えてきた。


コロナ禍の中、

減収、住宅ローン返済、希望退職と、

悩んで揺らいで、心折れそう。


悔しくて悔しくて堪らない


やり場の無い悔しさ


色んな職種で、職人の様なサラリーマン

同じく悩んでもがいて居るだろう。



ヤルセナイ