※もうかなり前の事なのだが、facebookとInstagram読んでたら擦り切れのダイジェスト版なので、今、正式版を改めて書く。
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2024年8月24日土曜日に『郷土芸術江州音頭 二代目桜川唯丸会』の今節初めてにして千秋楽の受け持ち櫓のファンの皆様にはお馴染みながら、交通不便のため、私の自宅(大阪市旭区)から自転車で行くのに推定片道6時間(ホントはもう少し早いかも🤔)は掛かりそうな、京都府綴喜(つづき)郡宇治田原町湯屋谷(ゆやんたん)の『恒例湯屋谷灯篭祭り大盆踊り大会』を務めてきた。
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弊会主二代目桜川唯丸が長年主任を務めて来た私の母校の後身校の『水島→砂子→水桜小学校 秋祭り盆踊り大会』は図らずも8月初旬に依頼が無かったので会主二代目以下の会員全員が
「嗚呼…」
と深いため息を着いた。
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当日、5日前に唯丸会グループLINEでスケジュールと出欠を調整、決まったことを速攻で手分けして当日の出演メンバーが、LINEをインストールしてない会員に連絡して調整するのが、この数年間の常となっている。
自分の役割は、一旦、独立してた11年間も、唯丸会と別で、セクシーシスターズ(唯幸&唯岐美)、唯正(辺高正) 、唯玉、唯清師匠の『桜川唯清(野村)ファミリー』司会と音楽監督をしていたが、人前で音頭を取るのは、自分がゲストで呼ばれるライブだけ、と、決めてたので、人前で取る事は無く、音頭恩人の一人でもある唯由里も知ってたけど
「師匠には言わんといてくれ!」
と予め言ってたので、モヤ~んとしか二代目唯丸に話してなかったのは、さすが姉弟子たる矜持アッパレであった。
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で、脱退は2004年シーズン直前。
2006年、名物踊り子で入門時から可愛がって頂いてた、とび喜代姉とタコさんに自然と師事する様になり、音頭より踊りが楽しくなって来た唯正兄の逆状態(踊り子から音頭取りに転向)でもエエかな!?と思ったが、
1999年と2001年に未だに二代目唯丸に謝って無い最初の危機が訪れる(多分、謝らないと思う)。
それは、
『ベース&ギター&キーボードを一切演奏しない』
という事であり、三叔父(唯清師匠+唯正兄+唯玉兄)に相談。
唯清師匠は
「音頭もやっと聴けるもんになって来た。でも、楽器も上手なのにもったい」
唯正兄貴は
「お前、鳴り物で入ったけど、嬉しがって(ベースとギター)弾いてるんか?
キーボード叩いてるんか?
エレクトーン8級なんやろ?!」
で、自分の意思は固まったが、一見飄々としてるが芸の鬼で私的浪曲の師匠でもある唯玉兄に委ねると
「もう、気持ち決まってるんやろ!?。
ほんならくっさん貫けよ!」
と『御三家(まだ御大にはお会いしてなかった。いつも行く100円ショップの店主と後に知るので面識はあった)』と自分が最初から想っていた事をこの道に引き入れてくれた方々とほぼほぼ同意見で、躊躇しながらも、毅然とした態度で7年中の前修業期の内、楽器する事を放棄した2年間だった。
2004(平成16)年の休会直後からは、小6の時に組んだバンドのネタを作り替えず、かつて務めてた数社の円満…ではなかったけど、元正社員で勤めてた会社の付き合いのあった先輩たちの引き合いで茶話会とかに出たり、知人友人を訪ね歩き売り込んだりする日々が続く。
中でも、葬儀師時代の故岡野真夫師匠(1942~2017)が千林駅前で美和夫人と経営していたスナックの手伝いをしていた時は、文字通り、筆舌には尽くせない修行の日々となった。
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その時のネタの内容は明治末期~戦前の大ヒットメロディと、嘉門達夫師匠や所ジョージさんとか、コミックソング、懐かしのテレビアニメ&特撮主題歌の声真似で歌うモノマネショーをアコーディオンとギターを駆使してやってた。
これはブレジネフ(初めて作ったバンドの後身デュオ。唯丸会入会と同時に解散(1979~97)後に猪名川タイムズ創業社たちの『最高の詩人故飯塚銀次』、『ラジオのセミプロリスナーで嘉門師とのかすがいとなった中村田隆一』、だいぶ後で知り合うことになる『猪名川タイムズ社初代副社長→六代目社長&ワサンボン5g社社長 流行音楽もコミックソングもドンと来い!新田DELUXE宗男』と編み出したオリジナルのコミックソングも歌ってた。
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2023年!
四代目桜川房丸大叔父師匠に『寺方提灯踊り』で表向きは脱退したことになっているが、昨年の寺方提灯踊り大会で初めて四天王以外に真の理由を四代目にお話すると許された。
その際、
「そうか…あの時、君も辛かったんやな…。
でも、今のうちに…声の出るウチに精進しぃや!」
と仰って頂けた。
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昨年、普段陽気で朗らかな唯清師匠が5分遅刻して烈火の如く怒った。
それはきっと、先年不慮の事故で亡くなられた龍虎兄さんの追悼の意味がこもっていたからだろう。
で、努めて陽気に振舞おうとする私を察して
「無理しなくて良いから…」
と寂しそうに微笑み、いつもの様に無理して私のマシンガントークにキレがなかった事を理解してくださったのだろう。
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で、今年である。
10分遅刻すると、既に唯清機材車にびっしりと、音頭の音響機材がビッシリと既に積み込まれていた。
しかも、クーラーは効いていたが唯清師匠も私もクーラー病なので入門以来頓着(問題)ない。
と、いうのも、最初は『音頭界のアラン・ドロン』『音頭界の水木しげる』『音頭界の毒蝮三太夫(石井伊吉)』などなどのキャッチフレーズを付けて、司会を唯清会=野村ファミリーでやってた。
唯清師匠に訊かれた事は隅々まで答える。
昨年とは打って変わって、例年通り、出発から到着までずーっと喋ってたので安堵したが、櫓が減る、ということは、会員達も集え無くなるし、月1の稽古も、その櫓(舞台)感覚を忘れないためのものであり、公開練習をどのぐらいの期間をしていたのか知らないが、どの道、自分はあのまま退会しなかったとしても、音頭幻想と現実に幻滅して江州音頭を遅かれ早かれ諦めていただろう。
会員たちの囃子ひとつひとつの『息』を合わせる物なのだが…。
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例年通り、唯清師匠と話してて、あっという間に宇治田原町湯屋谷の会場に到着する。
メンバーは車に分乗したり、途中待ち合わせたりで、2人の欠席者以外全会員が早い時間に揃った。
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が、我々の乗ってきた唯清号の荷物をバラしたら師匠唯丸が言ってた機材が積まれてなかったらしい。
で、『江州音頭界の京マチ子』の異名を取る唯岐美の車に移動し、唯清師匠は唯清邸までトンボ帰りした。
その間、唯丸師匠の指揮の下、唯玉兄、唯由里、ウンちゃん、
いきなりの変更は困るし、お囃子の練習も会員が綿密に一年間してるのに、ゲストの方がまた今年も突然耳障りであとで踊り子様方やファンの皆様方に昨年の砂子小学校で言われた。
ゲストの方の大ファンだったはずのすうじぃさんが昨年頭を抱えていた。
が、李さん以外は音頭取り、一番末席の私とて、11年間脱退して他会派にも数回出てる。
ので、お陰様で囃子と太鼓🥁は出来る。
で、ゲストの方の会社の社員さんらしい人の独特の太鼓にも、悲しいかな、もう慣れてしまったので、李さんが奏でるエレキのシャッフルリズムのビート、唯由里が奏でるキーボードとリズムマシンのリズムに合わせてリズムも狂わずに読めた。
と言うより、自分としてはきみ姉か唯玉兄か唯清師匠に叩いて欲しかった太鼓…まさかのゲストの方の太鼓🥁!😭
これもファンの方々に聴いてて停めた。
私の次はゆり(唯由里)姉だ!
小生は元来キーボード奏者として入会したので、ワイヤレスマイクで『〆文句』を歌いながら櫓を降りて、囃子文句の
『ソラ ヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノセ』
の間にキーボードは交代する。
これは四半世紀やって、阿吽の呼吸が合わないと交代出来ない。
いい感じのギターの間奏で手固くフォローしてくれるウンちゃんのギタープレイも今年で参加してコロナはあったものの8回目の櫓シーズンだから為せる技だ。
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会員全員が一丸となって、どうにか、遂に唯一の櫓になってしまった『湯屋谷の灯篭祭り』を努める事が出来たが、唯一となってしまったとはいえ、一回一回の櫓に自分なりに注力は出来たとは思うが、全体的に音頭櫓は激減している。
ましてや地元(北河内地方)での櫓が遂に消滅したのは由々しき事では無く、予め、少なくとも私もと他の会員たちは
『どう動いて存続させれば良いのだろうか!?』
と、いうことを自分も含めて弊会のことと自分の芸題を如何に存続させるか、と、言うことが理解出来無かったので、『来るべき時が来てしまった…』と傍観するしか無かったと思う。
再々言っておくが、私が恥を忍んで各櫓に出向き、旧知の師匠方や先生方…踊り子様方になぜ顔を出すのかの真意を、上記の彼ら(ファンの皆様方)はモヤッと理解して下さっていることも見えてきた。
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つい数年前、復帰後やってた会員間の
連絡役を唯由里に交代してもらったのは、筆頭弟子の自覚を持って貰うためだが、交代した途端に元々出来たのだろうか、想像以上の働きで運営を回してくれていて、唯岐美と唯幸は従来通り、女性ならでは気が付くべき部分で、筆舌に尽くせぬ位動き回ってくれている。
李さん(うんちゃん)もレギュラーゲストながら楽器演奏のみでは無く、設営などを手伝って下さっている。
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そうして、時間を合わせて、少しづつ積み上げて行く物であることを理解して頂きたい。
ま、今後、何年音頭を私的に取って行くのかは分からないが、そうした根本的な事を理解して頂きたく思う。
(了)