「美味しい…!」
「美味い…!」

同時に思わず言葉がこぼれ落ちる。
もう一口、口に運んだ美月は、

「ん~幸せ~」

そう言わずにはいられなかった。
ほろ苦いキャラメルをまとい、それでもサクサクっとした食感があるリンゴと、それを下から支える甘さを抑えたタルト生地は、あたたかい。
そのタルトに添えられたコクのあるバニラアイスと共に口に運ぶと、リンゴのサクサク感とタルトのザクザク感、アイスのトロッした味が口の中いっぱいに広がる…そんな、味のバランスだけでなく、食感も楽しめるような、どこか遊び心ある一皿だ。
そして…カップに注がれた紅茶…アッサムに、たっぷりのミルクと砂糖を加えて、口に運んでみると…ミルクに負けないしっかりとしたコクがあり、こちらも美味しい。
ずしっとしたタルトと、しっかりと濃厚なミルクティー…甘いもの好きには、たまらない組み合わせである。

一方、山根は、マジマジとケーキを眺めていた。
ショートケーキというと、スポンジ生地の間に生クリームとイチゴをサンドし、更に表面を生クリームで閉じ込め、ケーキの上にイチゴを飾る…そういうショートケーキが一般的であるが、どうやらここにも遊び心が発揮されているらしい。
ケーキの部分は…ココア生地の黒いスポンジと、シンプルなスポンジ…サンドされているのは生クリームだけで、イチゴがどこにも入っていない。その代わり、これでもかと、ケーキの上や皿にイチゴが乗せられている…。
しかも、イチゴを口に含んでみると…

「甘い…」

砂糖を加えたような甘さではない…だが、天然の果実の甘さが口いっぱいに広がる。
試しにケーキだけ口にしてみると、甘さがかなり抑えられており、これだけでは少し物足りない。イチゴとケーキ同時に口の中に入れると、イチゴの甘さと、控えめな甘さのクリームと、白黒のスポンジが、お互いの足りない部分をかっちりと補うように出来ているようだ。
そして、山根のカップに注がれた紅茶は…ダージリンのファーストフラッシュ…春摘のものである。美月のアッサムが、しっかりとした、いわゆる紅茶色をしていたのに対し、レモンイエローのような、透き通った黄色をしている…一見すると「少し薄いのでは…?」と、心配になりそうだが、おそるおそる口に含むと…ふわりと口の中に清々しい香りが広がる。のどごしにまるで花のような甘さがあるのに驚く。
ショートケーキの果実感と、軽やかな紅茶の組み合わせは、男性でも充分に楽しめそうだ。

お互いにしばらくは無言でケーキとお茶の余韻を味わっていた2人だが…ふと、目が合うと、

「「食べてみる?」」

キレイにハモった。

そして、にやっと笑い合うと、紅茶も、ケーキも、お互いのものに手を伸ばす。

「え~!イチゴ甘い~!」
「あ。俺、このリンゴなら食えるかも!」
「ダージリンティーのイメージ、変わるね!これ飲むと…」
「ミルクティーも濃厚!美味い!」

後は、楽しいことを見つけた子供のように、目をキラキラと輝かせ、食べて、飲んで、しゃべって…時間を満喫する。

様々な木々や花々に囲まれ、店内に差し込む柔らかな光。
そして、目の前には美味しいもの。
まるで、夢の様な時間である。
ガラス窓一枚向こうには日常を送る人々や、車が行き交う。
もちろん、ここも「現実」で、日常の生活のごく一部に過ぎない…だが、どこか、違う世界に紛れ込んでしまったかのような、そんな感じがする。

山根が手洗いに立ち、一人になった美月は、テーブルに頬杖を付き、思わずうっとりと幸福のため息をついた。

「紅茶、おつぎしてよろしいですか…?」

声をかけられ、はっと顔を上げると、そこにはウエイターの姿がある。

「あ…お願いします…ええと…」
「猫田です。猫田と申します」
「猫田さん」
「はい」

ウエイター…猫田は、ティーポットから、紅茶を注ぎつつ、美月に優雅に話しかける。

「お味はいかがですか…?」
「もう、すっっっっごく美味しいです!…お店の雰囲気も素敵だし…なんだか、夢…あ。お店の名前からしたら、不思議の国…?に、紛れ込んじゃったみたいです。すごく楽しくて、癒やされました。大変だったけど…予約取ってきて良かった。」
「……それは、良かった。ここは、そういう場所なんですよ」
「え…?」
「ここで、美味しいものを食べて、楽しくお話や好きなことをして…明日、前を向いて頂くための場所なんですよ」

猫田の言葉に、改めて店内を見回してみると…。
じっくりゆったりと読書を楽しむ人や、おしゃべりを楽しむ女性のグループ、いい雰囲気のカップル…など、様々な時間を楽しむ人々がいる。

「…ですから」
「はい?」
「普段、口には出せないことも、ここだったらお話出来るかも、しれませんよ…?」
「…え?」

猫田は、美月に意味ありげに微笑む。

「ごめん。お待たせしました」
「おかえりなさいませ。紅茶、おつぎしても…?」
「あ。はい。お願いします。…あ。すすめてもらった紅茶、すごく美味かったです!」
「それは良かったです。ダージリンは、春、夏、秋と、大きな旬がありまして、それぞれ味わいがまったく異なるんです。ぜひ、機会がありましたら、召し上がってみて下さい」
「へぇ、そうなんですね」

そして、猫田は、もう一度、さり気なく美月に微笑みかけると、一礼して去っていく。


「………普段、言えないこと…」
「え?」
「あ…。ううん。なんでもない」
「……そう」

美月は、改めて、店内を見回す。
思い思いの時間を過ごす人達…そして、まるで不思議の国に紛れ込んでしまったかのような、この空間。
美味しいケーキや紅茶達。
そして…突然で出会った、目の前の男。

「……ねぇ、優吾くん」
「……はい?」
「さっき優吾くんは、ミュージシャン、目指しているって言ってたよね」
「……はい」
「ん。実はね。私、作家に…なりたいって思ってたの」
「作家?」
「…うん…でもね、なんていうか。こう、お前には才能ないって、そう言われるのって、怖いじゃない…?だから、逃げ腰になってたら…いつの間にか中途半端なまま。こんな年齢になっちゃった」
「だって、こんな年齢って…美月さん…」
「あは。私ね、32歳になるんだよ。そしたら、周りの人の意見とか、世間の目とか…そんなのを気にしてたら、ますます身動き取れなくなっちゃったんだよね…でも…」
「でも?」
「もう一回さ。チャレンジしてみるって…言ったら、優吾くん、笑う…?」

沈黙が流れる…。
流石に…呆れられたか…と、顔を上げた美月は、山根の思った以上に真剣な目に驚いた。

「まさか。美月さん。笑わないよ。…俺、さっき高校の時、友達と一緒にやってたって話、したよね」
「うん…」
「そいつね、病気で…。もう、この世に、いないの」
「え…?」
「その時、思ったんだ。何時どこで、何があるかなんてわからない。一度しか無い人生なら、やりたいこと、やったほうがいいって。だから俺、大学辞めたんだ」
「一度しか無い、人生…」
「そう。誰が何を言ったって、俺の人生や、美月さんの人生だから」
「だから、笑わない。お互いにさ、頑張ろうよ」
「………うん…。ありがとう」
「はは。具体的に、どうしようとか…決まってるの?」
「う……そ、それは、これから…」
「ははは。ん。ま。上手く行くこと祈ってる」
「ちょっと!何その棒読み!」

再び、楽しげに話を始めた2人。
…そんな姿を、遠くから見た猫田は、笑みを深くした。


午後15時45分。

「「……はぁ~……」」

「アリス」から出た2人は、思わず、幸福のため息をついた。

「楽しかった…」
「楽しかったね…」

美月は今まで見てなかったスマホを、取り出して、思わず笑ってしまった。

「?どうかしたの?」

そこには、雪子からの謝りメッセージがどっさり来ていたのである。

「ううん。なんでもない。…あ!そうだ、優吾くん、連絡先…」
「あ。そうだね」

しかし、スマホを取り出した優吾を見て、美月は決めた。

「交換するの…やめておこっか」
「え??」

美月はいたずらっぽく笑う。

「優吾くんは、学校に通ってるんだよね?近くの」
「はい」
「私もね、週一回、フラダンス習ってって、この駅使ってるの。だからさ…また、会えるかもしれないじゃない?」

「………なるほど…。それ、面白そうだね。うん」

山根は、スマホをしまい。
美月に手を差し出した。

「美月さん、お互いに頑張りましょう」

美月も、山根の手をしっかりと握り返す。

「うん!頑張ろう」

お互いに、笑顔で固く握手を交わす。

「じゃあ…。またね、美月さん」
「……うん。またね、優吾くん」

山根は笑顔で手を振りながら、歩き出す。
美月は、人混みに紛れていくその姿を、見ていた。
やがて、人混みに紛れて、山根の姿が消える消える…。

「よっし!頑張るぞ!」

美月も、気合を入れて、その場から歩き出した。

まずは、遅れてきた雪子に、自慢してやるのだ。
今日あった、不思議で、楽しくて、美味しかったあの時間のことを…。
そして、明日から、顔を上げて歩こうと、心に決める。

その、美月の足取りは、とても軽やかだった……。





……いかがでしたか?「アリス」での時間は、楽しんでいただけましたでしょうか…?
またのお越しを、心より、お待ちしています。


ーClosedー





作 このは恵
2014年2月3日(月)掲載。