そんな客席が見渡せる場所にコックコートを着た、若い男性が一人…。
「有栖!」
コックコートの男…有栖が振り返ると、そこにはパンツスーツに身を包んだ女性が立っている。
「マッド」
有栖の呼びかけに、不機嫌そうに眉を寄せる。
「その呼び方やめろって言ってるでしょ!私は、松戸!ま・つ・ど!何回言えばわかんのよ!」
「あ~はいはい」
スーツの女性…松戸の声が聞こえているのかいないのか…有栖はおざなりに返して、再び客席に視線を戻す。
「まったく…いつもいつも同じ事繰り返して…コドモかって言うのよ…」
松戸の愚痴には慣れてるのか、有栖の視線はある一つの席に固定されたまま動かない。
「……なぁ、あそこの2人、どう思う?」
「は?」
「だから、あそこの2人、どう思う?」
有栖の視線の先には…物珍しそうに店内を見回し、時に笑い合う美月と山根の姿がある。
「どうって…普通の恋人同士じゃないの?」
「いや、俺的には、まだ付き合ってるワケじゃないとみた」
松戸は、2人の方を再び見てみるが…ただ楽しく時を過ごす、恋人同士にしか見えない。
「…ちょっと、お客様の詮索なんかしてないで、仕事しなさいよ!仕事!」
「お客様の様子を見るのも俺の仕事ですぅ~」
「あのね。お客様の関係をあれこれ詮索するのは、様子を見るとは言わない!」
松戸は、ビシッと、人差し指を有栖に突きつける。
「んなことしてないで、仕事!」
そう言い残して、ヒールの音も高らかに松戸は去っていく。
「へぇへぇ」
なんとも気の抜けた返事を返しつつ、有栖はもう一度、美月達を見る。
姉弟…には見えない。かといって、恋人同士にしては…なんとなく距離がある。
そんな不思議な二人の関係、だが…
「なんだか、楽しそうだ」
有栖は、腕まくりをすると
「よし!じゃあ、更に楽しい時間を過ごしてもらうための美味いモンでも作りますか!」
足取りも軽く、その場を離れた…。
午後2時55分。
美月と山根は、飽きずに店内を眺めている。
すると突然、美月が笑い出す。
「山根君、口、開いてるよ」
「え?…あ…」
物珍しくて色々と眺めているうちに、ぽかん…と、口を開けてしまっていたようだ。
美月はどうやらツボに入ってしまったらしく、テーブルに伏せて、まだ笑っている。
「さ、笹田さんこそ、似たようなもんだったじゃないですか!」
「ご、ごめんごめん」
顔を上げた美月は、目尻の涙をふく。
「あ~やっと落ち着いた。あ。それからさ、私の事、美月でいいよ」
「え?」
「言い辛いでしょ?笹田さん。5文字しかないのに、さ、が3つも入ってるんだもん。皆に舌噛みそうってよく言われるの。だから、美月でいいよ」
「あ…じゃあ、俺のことも、優吾にしましょうよ。ね、おあいこってことで」
「ん。じゃあ、優吾君で…」
「美月さん…ね」
お互いに顔を見合わせ、またくすくすと笑い合う。
「そういえばさ…さっきから気になってたんだけど…あれ、優吾くんのなんだよね?」
美月の視線の先にあるものは、ギターケースである。
「エレキギター?アコースティックギター?」
「アコギです。なんか、音が好きで」
「バンドやってるの?」
「いや、一人で…弾き語りやってるんですよ。実は、すぐそこにある音楽の専門学校に通ってて…今日もスタジオ、学校で借りてるんです」
「ええ!時間、大丈夫?!」
「大丈夫ですよ。元々、早く来すぎたなって思ってたところだったし」
「なら…いいんだけど…。じゃあ、プロ、目指してるの?」
美月の質問に、山根は直ぐには答えなかった。
しかしその間は、戸惑っているのとも、はぐらかしているのとも…少し違う。
自分の大切なものを、そっと大事に心から取り出す…そんなものだった。
「…はい。高校の時に友達とやってって…大学、一回入ったんですけど…なんか違う、どっか違うって思って…結局、大学辞めて、こっち来ちゃいました」
「そっか…」
「正直、難しい道だっていうのはよくわかってるんですよ。けど、もうだめだって…そう思うまでは頑張ってみようって思ってるんです」
「………」
「…?美月さん?」
「……後悔、してない?」
山根は、さっぱりとした顔で笑った。
「してません」
「……………」
「美月さん?」
「…ん…そっか。うらやましい…」
「え?」
「ううん。なんでもない」
「美月さん…」
山根が、なおも言い募ろうとした時…。
「お待たせいたしました」
落ち着いた声と共に、ウエイターが笑顔で立っていた。
美月達の前に慣れた仕草で、ケーキやティーカップをセットする。
そして、ティーポットから、紅茶を注ぐ。
「ティーポットの茶葉は抜いてあります。茶葉自体は取ってありますので、おかわりが欲しい時は遠慮なくおっしゃって下さい」
ウエイターは、やはり綺麗に一礼すると、その場を去っていく。
そして、2人の前には…甘い香りが漂ってくるケーキ…そして、ほっこりと湯気が立つ紅茶が置かれている。
美月の前には、飴色に輝くリンゴかたっぷりと乗せられた大ぶりのタルトに、バニラアイスが添えられた一皿。
そして、山根の前には、ケーキの上に、カットされたイチゴがこれでもか!と乗せられているショートケーキが置かれていた。
2人は、目を合わせると、フォークを手に取る。
そして…一口…。
「美味しい…!」
「美味い…!」
同時に思わず言葉が出る。
2人の「アリス」での時間は、まだまだ、続くのだった…。
続く…。
作 このは恵
2014年1月31日(金)掲載。
「有栖!」
コックコートの男…有栖が振り返ると、そこにはパンツスーツに身を包んだ女性が立っている。
「マッド」
有栖の呼びかけに、不機嫌そうに眉を寄せる。
「その呼び方やめろって言ってるでしょ!私は、松戸!ま・つ・ど!何回言えばわかんのよ!」
「あ~はいはい」
スーツの女性…松戸の声が聞こえているのかいないのか…有栖はおざなりに返して、再び客席に視線を戻す。
「まったく…いつもいつも同じ事繰り返して…コドモかって言うのよ…」
松戸の愚痴には慣れてるのか、有栖の視線はある一つの席に固定されたまま動かない。
「……なぁ、あそこの2人、どう思う?」
「は?」
「だから、あそこの2人、どう思う?」
有栖の視線の先には…物珍しそうに店内を見回し、時に笑い合う美月と山根の姿がある。
「どうって…普通の恋人同士じゃないの?」
「いや、俺的には、まだ付き合ってるワケじゃないとみた」
松戸は、2人の方を再び見てみるが…ただ楽しく時を過ごす、恋人同士にしか見えない。
「…ちょっと、お客様の詮索なんかしてないで、仕事しなさいよ!仕事!」
「お客様の様子を見るのも俺の仕事ですぅ~」
「あのね。お客様の関係をあれこれ詮索するのは、様子を見るとは言わない!」
松戸は、ビシッと、人差し指を有栖に突きつける。
「んなことしてないで、仕事!」
そう言い残して、ヒールの音も高らかに松戸は去っていく。
「へぇへぇ」
なんとも気の抜けた返事を返しつつ、有栖はもう一度、美月達を見る。
姉弟…には見えない。かといって、恋人同士にしては…なんとなく距離がある。
そんな不思議な二人の関係、だが…
「なんだか、楽しそうだ」
有栖は、腕まくりをすると
「よし!じゃあ、更に楽しい時間を過ごしてもらうための美味いモンでも作りますか!」
足取りも軽く、その場を離れた…。
午後2時55分。
美月と山根は、飽きずに店内を眺めている。
すると突然、美月が笑い出す。
「山根君、口、開いてるよ」
「え?…あ…」
物珍しくて色々と眺めているうちに、ぽかん…と、口を開けてしまっていたようだ。
美月はどうやらツボに入ってしまったらしく、テーブルに伏せて、まだ笑っている。
「さ、笹田さんこそ、似たようなもんだったじゃないですか!」
「ご、ごめんごめん」
顔を上げた美月は、目尻の涙をふく。
「あ~やっと落ち着いた。あ。それからさ、私の事、美月でいいよ」
「え?」
「言い辛いでしょ?笹田さん。5文字しかないのに、さ、が3つも入ってるんだもん。皆に舌噛みそうってよく言われるの。だから、美月でいいよ」
「あ…じゃあ、俺のことも、優吾にしましょうよ。ね、おあいこってことで」
「ん。じゃあ、優吾君で…」
「美月さん…ね」
お互いに顔を見合わせ、またくすくすと笑い合う。
「そういえばさ…さっきから気になってたんだけど…あれ、優吾くんのなんだよね?」
美月の視線の先にあるものは、ギターケースである。
「エレキギター?アコースティックギター?」
「アコギです。なんか、音が好きで」
「バンドやってるの?」
「いや、一人で…弾き語りやってるんですよ。実は、すぐそこにある音楽の専門学校に通ってて…今日もスタジオ、学校で借りてるんです」
「ええ!時間、大丈夫?!」
「大丈夫ですよ。元々、早く来すぎたなって思ってたところだったし」
「なら…いいんだけど…。じゃあ、プロ、目指してるの?」
美月の質問に、山根は直ぐには答えなかった。
しかしその間は、戸惑っているのとも、はぐらかしているのとも…少し違う。
自分の大切なものを、そっと大事に心から取り出す…そんなものだった。
「…はい。高校の時に友達とやってって…大学、一回入ったんですけど…なんか違う、どっか違うって思って…結局、大学辞めて、こっち来ちゃいました」
「そっか…」
「正直、難しい道だっていうのはよくわかってるんですよ。けど、もうだめだって…そう思うまでは頑張ってみようって思ってるんです」
「………」
「…?美月さん?」
「……後悔、してない?」
山根は、さっぱりとした顔で笑った。
「してません」
「……………」
「美月さん?」
「…ん…そっか。うらやましい…」
「え?」
「ううん。なんでもない」
「美月さん…」
山根が、なおも言い募ろうとした時…。
「お待たせいたしました」
落ち着いた声と共に、ウエイターが笑顔で立っていた。
美月達の前に慣れた仕草で、ケーキやティーカップをセットする。
そして、ティーポットから、紅茶を注ぐ。
「ティーポットの茶葉は抜いてあります。茶葉自体は取ってありますので、おかわりが欲しい時は遠慮なくおっしゃって下さい」
ウエイターは、やはり綺麗に一礼すると、その場を去っていく。
そして、2人の前には…甘い香りが漂ってくるケーキ…そして、ほっこりと湯気が立つ紅茶が置かれている。
美月の前には、飴色に輝くリンゴかたっぷりと乗せられた大ぶりのタルトに、バニラアイスが添えられた一皿。
そして、山根の前には、ケーキの上に、カットされたイチゴがこれでもか!と乗せられているショートケーキが置かれていた。
2人は、目を合わせると、フォークを手に取る。
そして…一口…。
「美味しい…!」
「美味い…!」
同時に思わず言葉が出る。
2人の「アリス」での時間は、まだまだ、続くのだった…。
続く…。
作 このは恵
2014年1月31日(金)掲載。