いらっしゃいませ。
ここは、ひととき、現実を忘れて解放される…そんな癒しの時間を過ごして頂くための場所です。
どうか、おくつろぎ下さい…

ようこそ「アリス」へ…



木曜日。午後2時。池袋西口前。
学生や、サラリーマン、テイッシュ配りなど…様々な人々が行き交う中、目の前を横切ったカップルを何気なく目で追い、軽くため息をつく人待ち顔の女性が一人…。

笹田 美月である。
今年で32歳。就職もせずに…いや、出来ずにバイトで生計を立てている、いわゆるフリーター。
収入は不安定だが、平日に休みを取れるところが利点…というところだろうか…。

「もう、おっそいな…。雪子のやつ」

スマホの時刻を確認すると、すでに午後2時10分を表示していた。
コミュニケーションツール、ラインを立ち上げ、手早く打ち込む。

ー雪子~。どこ~?

この日、専門学校に通っていた頃からの友人、雪子と、なかなか予約が取れないとウワサのカフェ、「パティスリー アリス」の予約をやっと取り、待ち合わせをしたのだが…本来すでにここにいるはずの雪子の姿はない。
ラインの着信音がなったので、確認した美月だが…

「はぁ!?」

思わず大声が出てしまい、慌てて周りを見回すが、誰も気にした様子はない。
もう一度、ちゃんと確認するが、

ーご、ごめん!今起きた!

見間違いだと信じたかったが…何処をどう見ても、内容は変わらない。

ーはぁ!?ちょっと!アリスどうするの!
ーごめん!ほんとごめん!今から行くから!マッハで行くから!

「これから行くって…」

店の予約は、2時30分…。雪子の家からここまでは、どう頑張っても1時間以上はかかる。
それこそ、マッハで空でも飛んで来ない限りは間に合わない。
時間をずらしてもらうのも、なかなか予約が取れない店では難しいだろう…。

「え~。どうしよう」

頭をがっくりと前に倒しうなだれる。

キャンセルするか…いやいや、苦労して予約したのだから、たとえ一人でも行く、行ってやる!

そう心に決めた瞬間。

トンと下げていた頭に軽い衝撃があった…直後。

「いた!いたい!」

思わず美月が叫ぶと、その声に慌てたように立ち止まる男が一人。
その男が動くと…

「ちょ!いたた!」
「うわっ!すみません!」

どうやら、男が持っているカバンの金具に、運悪く髪がひっかかってしまったようだ。
体勢が悪く、なかなか取れない。
とりあえず、近くにある植え込みのフチに腰掛け、髪と格闘する。

「あ…取れた!」

その声とともに、突っ張っていた頭皮の痛みからも解放される。
下げていた頭を上げ、美月はやっと、男の顔を見た。

「本当にすみません!」

平謝りする男は…年の頃、20代前半くらい。
カジュアルな格好なのを見ると、サラリーマン…ということはなさそうだ。

「…あのぉ?まだ、痛みます?」

思わず、じっと見つめていた美月は、はっと我に返った。

「あ…いえ。大丈夫です」
「良かった。こいつの金具がひっかかちゃったみたいで、本当にすみませんでした」

髪がひっかかったのは、男のカバンではなく、ギターケースだったようだ。背中に背負ってったため、美月の髪がひっかかってしまったのに気がつくのが遅れてしまった…らしい。

「私も、変に頭下げてたから…こちらこそ、すみません…」
「あ。いえいえ。」

男が、腕時計を見て立ち上がる。
その仕草に、美月も慌てて時計を見ると、すでに25分になろうとしていた。

「それじゃあ」

軽く頭を下げて、去って行こうとする男の後ろ姿を見ていた美月だが…。
がばっ!と立ち上がり、がしっ!っと、男の腕を掴んだ。

男が、驚いて立ち止まる。

「……時間、あります?」
「……え?」
「時間です。あります?」
「え…と。少しなら…?」
「どのくらい?」
「え…1時間…半くらい?」
「来て」
「は?」

美月は、男の腕を掴んだまま、歩き出す。
男は、人が良いのか、慌てながらも腕を振り解かない。

「あ、あの!何処行くんですか?!」
「今は、説明してる暇ないです!」

美月は人が多い池袋の街を、名前も知らない男の腕を掴んで走りだしたのだった。








続く…。




作 このは恵
2014年1月17日(金)掲載。