年始回りさえできない2021年の正月を迎えたが、昨年の春から私たちを悩ませ続けている新型コロナ・ウイルスは、一部の人たちが信じているような、中国武漢の細菌研究所が極秘に作ったものではなく、学者さんたちによれば、あくまで自然由来の病原微生物だそうである。
すでに2013年に非常によく似たウイルスが確認されているようで、こちらも今の新コロと同じく、野生のコウモリがどこかの洞窟から運んできたものらしい。
新型コロナ・ウイルスのいちばん厄介な点は、感染した人間に通常2日間はまったく自覚症状が現れないことで、その2日間に感染者はウイルスを周囲に撒き散らすのである。
近頃ヨーロッパで発生した変異型のコロナ・ウイルスに至っては、感染した人間が何日間かはPCR検査で陰性と診断されることも多いのだから、まったく困ったものである。
このように、新型コロナは実に巧妙に感染を広げるワザを持っていて、それこそが感染拡大が続いている第一の理由だが、何かの目的があって、このウイルスはそのような性質を備えているのだろうか。
いったい何のために、この微生物は地球上の人間たちを苦しめ、そして多数の命を奪おうとしているのか。
大自然に存在する正体不明の原理、または意志が働いている、と考えることもできるかもしれない。
およそ500万年前に、大きな脳ミソを持ち、楽々と二足歩行ができるまでに進化した人間が誕生したといわれており、その人間たちは150万年ほど前から火を使う生活を始めたらしい。
火を使って肉や野菜を調理し、寒い時期には体を温め、野獣から身を守ったりすることができるようになって、地球上には人類の数が飛躍的に増えていった。
そして、2000年前頃から世界の各地で人間は、石炭を使う暮らしを始めていたことが記録に残っている。
その石炭が大量に使われ、多量の二酸化炭素が大気中に放出されるようになるのは、1760年代に始まったイギリスの産業革命からである。
1859年にアメリカのペンシルヴェニア州で石油が発見され、1920年代に中東の各地で巨大な油田の存在が確認されて採掘が始められると、いわゆる近代工業化が世界の各地で加速していった。
その後は、よく知られているように、効率と利便性と利潤を追い求める人間たちが、水と緑の惑星である地球に深刻なダメージを与え続け、そして現在に至っている。
工場などからの煤煙や、無数の自動車から吐き出される排気ガスによる大気汚染と酸性雨、プラスチックごみの投棄や有害排水の垂れ流しによる海洋汚染、とどまるところを知らない森林伐採による緑地の減少、希少資源の濫用、魚介類の乱獲、外来種の持ち込みがもたらす生態系の破壊などなど、すぐには解決できない厄介な問題をいくつも抱えているのが、今の私たちである。
身近なところでは、日本の河川の多くが、環境への問題意識が高まったせいか、数十年前に比べればずいぶんきれいになってきたと感じるが、陸地では農薬や化学肥料などが雨で地中深く浸み込んで地下水を汚染し続けているので、今は井戸水をそのまま飲むことなど自殺行為である。
実は私自身、以前は環境問題に何の関心もないロクデナシだったが、今は心を改め、何より一人ひとりの心がけが大切だろうと考えて、とりあえず自分なりにささやかながらも地球に優しい生活を送るよう努めている。
さて、コロナの話に戻って、環境破壊とコロナのパンデミックには何らかの因果関係があるのか、ということについて考えてみたい。
神様、もしくは地球を監視しているエイリアンが、人間たちをおとなしくさせるためにこのウイルスを創った、ということなら話は簡単だが、そうでないなら、もう少し現実的な視点から推測すべきだろう。
自然界は謎と不思議と驚異に満ちている、とはよく言われることである。
たとえば樹木類ひとつをとっても、彼らに脳はないのだが、太陽の光や雨などを巧みに利用して賢く生きているケースをいくつも確認することができる。
草や野菜や花にしても同様であり、子孫を残すためと種子拡散のために、動物や虫や風などを見事なまでに活用している。
そのような植物たちと、大小の生き物たちと、人間たちと、水と土と大気で構成されているのが、地球という惑星である。
遥か遠い昔から近世頃までは、地球の自然界には完全な調和が保たれていた。
そして、それは永遠に続いていくはずだった。
しかしその調和が、近代工業化によって乱されてしまう。
化石燃料の石油は、あと50年で枯渇するらしいが、地球が何億年もかけて作ったこの資源を、人間は150年足らずで使い果たしてしまうだけでなく、これを材料にして様々な化学製品を創り出し、100年間は消滅しないといわれるプラスチックを初めとする数々の人工物質で、世界中の海に深刻な問題を引き起こした。
野生の動物たちや、虫たちや、バクテリアなどの極小生物たちは、大規模な森林破壊や土地開発によって住む場所を奪われ続けた。
生き物たちは行き場をなくし、かつて自然界には存在しなかった化学製品や有毒物質によって海と大地と大気は汚染され、太古からめんめんと続いてきた地球の調和が完全に乱れ始めたのである。
すると、大自然は不思議な自浄能力を目覚めさせ、反撃に出始めた。
人間たちに身勝手な行動をさせないためのウイルスを発生させたのである。
私たちが新型コロナ・ウイルスと呼んでいる謎めいた生命体がそれである。
俗な言い方をすれば、このコロナのパンデミックは、自然界が人間たちに与えた罰ゲームかもしれない。
感染の拡大を防ぐためにいろいろな策が講じられており、いくつかの提案や指示もある。
5人以上の会食は避けましょうというのはその指示のひとつだが、5人という閾値(しきいち)の根拠がよくわからない。
3人や4人とかなら感染しないのかと思ってしまうが、ともあれしばらくは会食や飲み会などは控えておくのが賢明だろう。
それでも、コロナを甘く見て飲み会やパーティーをせずにはいられない人々がたくさんいるのも現実である。
外へ出かければ、どこにコロナの罠が潜んでいるかもしれないので、いわゆるステイ・ホームは非常に有効でお手軽な自衛手段のひとつである。
家から出なければコロナの地雷を踏むこともない。
しかし、外から帰った家族が感染しているケースも多いのだから、ステイ・ホームも完全な予防策ではない。
多くの人が、いったいいつまでこんな緊張感とストレスとサスペンスに満ちた生活を続けなければならないのだろうかと、暗く重苦しい気持ちになっていることだろう。
もちろん私も同じである。
そんな現状にあって、ワクチンの誕生は人々に希望と期待を与える嬉しい材料であり、すでに世界の多くの国で認可されて接種が始まっている。
それにもかかわらず日本の厚労省は二の足を踏み続けているが、これはコロナ・ワクチンが原因で大規模な健康被害が起きないかどうかを見極めようと、外国での成り行きをうかがっているからである。
もしも外国の検証データをもとに厚労省も早々に認可して、その後に何かの問題が起きたりすれば、自分たちの責任が問われる。
訴訟の被告になることさえ、あり得ないことではない。
安全性を確認するまでは認可できない、などというのは単なる名目であり、つまり役人たちは、自己保身のために慎重になっているのである。
日本国民を守るために一刻も早く手を打たなければ、などという意識は彼らにはない。
ともあれ、日本で、そして世界中で、この先も感染拡大の悪夢は続いていくだろうから、自分だけは大丈夫だろうなどという思い上がりは断じて慎み、いつかはどこかで自分も感染するかもしれないという危機感を持ち続けるべきだろう。
神が、あるいはエイリアンが、それとも地球の自然界が我々に突き付けたこの試練を乗り越えるためには、今こそ一人ひとりの協力が何より必要であるのは言うまでもない。
小さな協力の集合体として社会というものが存在し、各個人の自覚とその協力によって社会は健全に機能するはずである。
私はパンデミックという異常な事態の中にあって、ここまで書いてきたようなことをなんとなく考えた。
そして、それを記事にしてみた。
長い雑文に最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
私がコロナに感染せずに生き延びていたらの話ですが。