昨年の10月から始まった、環境市民会議が今日で最終回を迎えた。


ボクは結局、10回中半分くらいしか出られなかったけど、出てみていろいろわかったこともあり、よかったと思う。


出てみてわかったのは、「生物多様性」という言葉が、普通の市民にどのようにとらえられているかということ。


ほぼ、「狭義の自然保護」ととらえられているといって間違いないと思う。


今日も、こんな話が出ていた。


「外来種、外来種って固いことばっか言うけど、生物多様性って、それほどのもんなの?」


「農作物を食い荒らすタヌキを守れって言われても、農業の方が大事でしょ。」


この噛みあわなさってなんだろうと考えてみた。


一つ思ったのは、たぶん委員のみなさんは、「生き物同士がつながっている」ということが実感としてわからないんじゃないかということ。


だから、今見えている、ある一面だけを見て、そこにいる生き物を駆除したり、外から持ってきたりということを軽く考えてしまう。


だけれども、怖いのは「見えていない部分の方が大きい」ってことなんじゃないだろうか?


「風が吹けばおけ屋がもうかる」という言葉があるけど、ある生き物を駆除したり、外から持ってくることによって、それがまわり回ってどんなことをもたらすのかが予測しきれない。


生態系って、目に見えないから怖い。この見えていない部分のことを考えるか考えないかでは、結論が全く違ったものになってくる。


しかも話が生物多様性ということになると、それが遺伝子レベルの話や種レベルの話まである。計算しきれるもんじゃない。


目には見えないけれど、たしかにそのつながりは存在はしていて、農業や漁業は、それを利用して生産活動をしているわけだし、発酵食品や薬品だってそうだろう。


生態系がおかしくなって、生物多様性が損なわれると、もしかしたら農業そのものができなくなくなるかもしれないし、経済への打撃だって計り知れない。


だから、それはタヌキの農業被害の話なんかとはレベルが違う話なんだけど、それがなかなか伝わらない。


もうひとつ、この噛みあわなさの原因は、「現場を見ている人が少ない」ってことなんじゃないかと思う。


農業のこと発言していた人は、農家の人ではないし、頭に浮かんだ理屈を話しているだけだと思う。現場は見ていない。


本当に現場を見ている人は、作物を作るのに、土と水だけあればいいなんて考えていない。


花粉を媒介する虫が必要だったり、土壌をよくするミミズやさまざまな生き物が必要だということをよく知っている。


それから、虫だけいても数が増えすぎてしまうが、鳥が虫を食べてくれて、数が増えすぎないように抑えているとか。


長年の経験を持つ人であればある程、こうした「見えないつながり」が見えていて、何が作物を育てているかをよく知っているのだと思う。


そして、それと同様に見えていないことがあるということも感覚的によく知っている。


もっとフィールドを歩いて現場を見る人が増えないと、環境のことなんて話せない!


というのが、今回ボクが学んだ最大のことだった。


そこで、この秋くらいから、市に協力してもらってトコロジストを育てる事業をやることにした。


どこまでのことができるかわからないけど、少し時間をかけて、ちゃんと現場を持ち、現場からの発想で環境のことを話す人が必要だと思う。