昨日、進士五十八氏(元東京農業大学長)にお会いした。進士先生は、造園学、農学の分野の大御所だ。横浜市をはじめ、全国の自治体で緑の都市計画をけん引されている方でもある。


お会いするに先だって、先生の最新の著書「グリーン・エコライフ 農とつながる緑地生活 」を読んだ。
先生や教え子の皆さんの
研究事例を一般向けにわかりやすく書かれた本といった感じ。簡単に概略を紹介すると、こんな内容だ。

トコロジスト生活

都市の緑は、人間性のバランス維持のためになくてはならないもので、それはどこかにあるからここにはなくてもよい、というものではない。特に「農」を体験することは、見るだけ、眺めるだけの緑とは違い、命を育み、食べるという、人間が生きていく基本に回帰するものだ。20世紀は農村を都市化するプロセスだったが、21世紀はその逆に、都市の中に農を取り戻していくプロセスだろう。そのためにも、すべての人が農を楽しむライフスタイルを身につけて、豊かな人生を送ってほしい。


ボクが感心したのは、フィールドの概念を「ペット、家畜、野生の緑」と説明していたことだ。「ペットの緑」とは、鉢植えなどインドアの緑。「家畜の緑」とは、庭や公園の緑。そして「野生の緑」とは、山林や大自然の緑という意味だ。


はじめはベランダから始めて、少しずつ庭や公園、そして里山や山林の自然へとつきあいを広げてほしいという意味だ。これならだれでも簡単にはじめられそう。


そして、ボクが追及したいと思っている「トコロジスト」にもどことなく通じるものがありそうで、お話を伺うのを楽しみにしていた。


さて、実際に先生とお会いしてみて、まずその気さくなお人柄に驚いた。突然の訪問にも迷惑そうな顔もせず、いろいろ率直なお話をしてくださった。


その中で特に印象的だったのは、「今のナチュラリストは、みんな三流学者みたいだ!」という一言だ。

「自然に少し詳しくなってくると、みんなだんだん、鳥、虫、植物など興味の範囲が細分化してきて、本来の自然をばらばらにしてしまう。そういうことが、一般の人を近寄りがたくしているんじゃないのか。」


「市民が学者のまねをする必要なんてないんだから、そんなに細分化、個別化しなくたっていいじゃないか。」


その通りだと思う。


ボクも子どもと公園に行くと、芝生の上のバッタやカマキリも見るし、花も見る。そしてその花にやってくるチョウや鳥も見る。


緑とふれあうときには、その場所にあるものすべてが興味の対象だ。鳥だけ、チョウだけ、花だけ、というのは学者の見方であって、普通の市民の目線ではない。


でも実際には、市民であっても、鳥は鳥、虫は虫、植物は植物でグループを作っているのが一般的だ。


ボクは、川崎市の黒川の谷戸で小さな畑を借りて、家族で家庭菜園を楽しんでいる。娘たちと育てたキュウリやトマトを、その場でもいでかぶりつく瞬間は、なんともいえず幸せを感じる。


と同時に、大げさにいえば自分たち家族がこの土地に生かされていることを実感する。


子どもたちもきっと、大人になってもここで過ごした思い出は忘れないだろう。

今では、この畑は趣味以上のものになってきた
トコロジスト生活

ボクにとって黒川の谷戸は緑地生活のフィールドであり、トコロジストのフィールドでもある。


なんだか、進士先生に自分のやっていることを後押しされたような気がして心強く感じた。これからも、楽しみながら、自分なりにフィールドとの付き合いを深めていこう。