こんばんは、お久しぶりです。(もはや定型文ですね)

 

本当はキハ85のひだや南紀、北陸新幹線延伸前のサンダーバード、しらさぎに乗りに行った時のことを先に書きたかったのですが、いつも通りサボってしまいました。

ですのでその時のことはまた今度。

 

2009年4月1日、今勤めている会社に入社しました。

最初はすぐに辞めようと思っていたのですが、なんだかんだ仕事も覚え、周りの人たちに良くしていただき、気付いたら勤続年数は10年を超えていました。

もちろん不満も多々ありますが、それを補えるほどのメリットがあるので続けてこられたのです。

 

しかし、10年ほど前に入社してきた精神的に不安定な奴(以降敵(かたき)と呼びます)による“機嫌の悪いときの度重なる八つ当たり”にもう我慢が出来なくなったため、このような形での退職は誠に不本意ではあるものの、今回会社を辞めることとしました。

 

先に書いておくと、私にも至らなかった事が多々あると思っております。私の仕事の能力が敵に比べて低い事、やられっぱなしで我慢できるほど広い心を持ち合わせていない性格故、年上である敵に対して態度に出していたのも事実ではありますが、それを差し引いても我慢ならないので、ここでは一方的に溜まっている事を書いていこうと思います。

 

その敵は変り者ではあるものの、以前は愛想も良かったですし、よく色々な話もしました。

しかし、自分が気に食わなくなると攻撃を始め、誰かの事を攻撃していないと自分を保てない厄介な性格と精神状態故、『こっちに来たら面倒くさいなあ。辞めていったあの人みたいに自分も辞めることになるのかなあ・・・』とは何年も前から考えていました。

そんな事を考えていた2年ほど(?)前、敵の家庭環境が変わり、日に日に不安定になっていき、以前にも増して八つ当たりも酷くなる一方で、私の頭の中は『もうコイツ無理(笑)』状態になりました。

私と同じように他県から入社してきて「どっちが先に辞めるか勝負だ!」なんてふざけあっていた後輩君も辞めて地元に帰ってしまい、『もうこれまでだな、でも今辞めたら仕事を教えてくれた同じ係の先輩に迷惑が掛かってしまうので、せめて新しい人が入ってくるまでは・・・』と我慢していました。

 

しかし、いくら気を使っても駄目な人間を相手にするのはさすがに骨が折れます。2023年の9月、職制に「明日夜までおれますか?仕事が終わったら大事な話があります。」と言ったところ、「いいよ、終わったら話そうか。」と返事をくれましたが、その顔は『ついに来たか・・・』という表情でした。

次の日の夜、1時間以上話し合い、「もうあいつの相手は出来ない。」「だから半年後をめどに辞めさせてほしい。」「でも先輩社員に迷惑は掛けたくないので、それまでに何とか人を探して入れてほしい。」と伝えました。

職制も「会社としてもあいつの傍若無人な振る舞いは度々問題になっている」「出来れば君には辞めてほしくない、どちらかと言えばあいつをどうにかしたい。」「もう何年も募集はかけているが、なかなか人が来てくれない」という返事でした。

さらに、「その気になればあいつを他所に飛ばすこともできるし、君がいいなら君が行きたいところに異動してもらうこともできる、俺は会社に必要な人間だと思っているから辞めるなんて言ってほしくない。」とまで言っていただけましたが、「自分のわがままのせいで、他の人同士で相性の悪い組み合わせがまた発生するのは耐えられない。元々嫌になったら辞めると決めていた。自分が嫌な思いをして辞めていけばいいだけ。だから会社は辞める。」と伝えましたが、その日は「とりあえずまた話そう」で終了。

その後2度か3度ほど同様の話をして私の退職が決定しました。

 

その間に入社時からいる先輩(↑の職制に働きかけてまで引き止めてくれた人)に「辞めないでしょ?」「ほんとに辞めるの?」「せっかく覚えたのにもったいない。」「俺は退職願を出すまで信じないし、辞めないでいてくれると思ってる。」と何度も引き止められ、数年前に入ってきて弊社で定年を迎えた大先輩にも「せっかく仕事を覚えたのにこんなことで辞めちゃうのかぁ、もったいないなあ。」と残念がられ、年の近い同僚や後輩くんには「ついにこの時が来たか。」「自分ももう辞めようと思ってます。」と言われました。

また、私に仕事を教えてくれた一番の恩人である先輩は「俺に迷惑かかるなんてことは一切考えないでいいよ。」「こんな嫌な気持ちになってまでも居るような所じゃないんだから辞めた方が良い。やりたいことがあるなら尚更だよ。」と言ってくれました。

(みんないい人ばかりで、思い出しながら書いていると目から何か出てきました・・・)

 

という訳で、最初に職制に話してからだいぶと時間がかかってしまいましたが、7月10日付で退職、有休消化前の5月31日が私の最後の出勤日になりました。

 

明日はどんな気持ちになるんでしょうかね??初めての事なので想像がつきません。事前情報によると普段やらない朝礼をするみたいなので、恐らくみんなの前で挨拶をするんでしょう。

また、他の部門の人にも挨拶回りをしなきゃいけないですね。

今日寝られますかねえ。。。

こんばんは。サボりすぎですね。

 

年の瀬なので思い出したように思い出したことを書いときます笑

 

1月は引退が決まったキハ85を撮影しに行く。

 

2月に定年を迎えて会社からまとまった休みをもらった母が襲来。

 

3月は引退するキハ85ひだで富山で行く。

ちなみに幸運なことにインターネットでのセルフ10時打ちに成功して最前列のグリーン車券を購入することができました。

 

4月は臨時ひだで走ったキハ85で高山へ行く。

 

6月はありがとうキハ85南紀を撮影しつつ、定期のキハ85南紀で多気まで行く

 

7月はさよならキハ85号を撮影しに行く。

 

8月は名鉄のフリー切符でぐるぐる回ってるときにちょうど東海まつりの花火が上がっていたのでついでに見に行く。

 

9月は常滑線110周年の記念切符を買いに行く。

そして1年ぶりのバンテリンドーム、対阪神戦で延長12回0-0引き分けという地獄の試合を目の前で見せつけられる。

(ビシエドのNPB通算1000安打を目の前で見れたのは良かったです)

 

10月は来年2月に発売予定のキハ85の鉄道模型の予約。

 

11月はリメイクされたスーパーマリオRPGを購入(懐かしい!!)

 

12月は例年通り名鉄の即売会に行きました。

 

今年はキハ85だらけの年になりました。

HC85の先行車が登場した時に「東海の事だからテスト走行が終わったらすごいペースで置き換えるんだろうな、それでも2年くらいは余裕あるかな?」と思っていたのですが、コロナの蔓延などで思うように行動できず。。。

結局最後の方にバタバタしながら乗りに行くことになりました。

 

85系関連は写真がちょいちょいあるので近いうちに記事にできたらと思います。

 

今年はこれで終わりです(今年初のブログだけど)

それでは、よいお年をお迎えください。

こんばんは。

もう2022年も終わりです。

 

今年の初め、例の流行り病の影響で会えていなかった100歳の祖母が亡くなりました。

連日感染者数が多かったので会いに行かなかったのですが、やはり、そんなの気にせずに会っておけばよかったのかなあと思ったり。。。

(後悔先に立たず)

 

それからしばらくして、例の流行り病も感染者が減り(免疫が付いてきて症状が出なくなったのかな??)、対応(?)も緩くなり、私が尊敬するブロガーさんと、その読者さんと以前から約束していた食事がやっとできたりと、少しずつ以前の生活に戻ってきてよかったなあと思ったり。。。

(減らされた収入は戻らないけど)

 

また、後輩君が来年の退職をほぼ決めていて、来年子供が進級する前に故郷に帰る予定と教えてくれました。

それならば、私も車のローンが終わる来年以降、辞めてしまおうかな?と思ったり。。。

(どうせ辞めるなら、ボーナスをもらってからしよう)

 

ちなみに先日の誕生日、寒空の下で購入した年末ジャンボ宝くじは、まだ見ておりません。

(払い戻しが始まってから見ることにします)

 

という訳で、今年は喪中なので年末年始の挨拶は致しませんが、今年もお世話になりました。来年もよろしくお願い致します。