…なんですよね~、お財布が。

 

事故ったのは半分くらい自分の所為だから其処は次回からの教訓として、代車を借りて乗っているのですが(単独事故なので相手が居ないんですよね。)見積もり取ったら20万円越えらしいので、迷わず「保険使います。」…で、この代車、軽のクセにデカいんですよね。

で、テルミさんはアレが欲しいから金払えコレが食べたいから金払えで、まるきり事故の事なんて無かったかのような、容赦ないタカリ。

Adoさんのアルバムは撤収し忘れてラパンさんのオーディオの中に入れっぱなしのまま修理に回されてしまい、車に乗る時の楽しみが半減。

 

で、最悪なのがテルミさんが胆嚢炎になったこと。

生命保険も何も入ってない状態での手術・入院なので、保険適用外のものは全部自腹。

無輸血・血液製剤無しというのはきちんと説明したし、エホバの証人の輸血拒否に理解がある病院なので、まあ、まずまず。でも初めての病院なので、今までかかってきた病院とは勝手が違うのでめっちゃパニくるテルミさん。私からしたら規模も大きさも同じような病院なので、そして、分からないことは丁寧に聞けば誰彼必ず助けがあると思っているので、テルミさんが何故そんなにパニくるのか分からず。

後で聞いたら、「駐車場が有料なんて有り得ない!」という…( --)

 

私は昔、同じような大規模な病院が駐車代を取っているのを知っているので、そんなに衝撃は無かった。まあ、盲人のフォローをして病院でアレコレ世話とか話し相手とかして、その旦那さんが、駐車料支払い済みの駐車券をくれていたのでその代償にアレコレ負担にはならなかったけれど、デカい病院は駐車代を取る、という認識はあったので。

 

わからない事は聞け!

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。」って言うじゃんね?

テルミさんは思い込みが強い上に、プライドがめっちゃ高いんですよね。

人に聞けないの。何でもそう。で、後で損するの。で、ガタガタ言うんだよね。

かないませんわ。

 

で、私が入って行って事の詳細を聞いて「すみません、駐車場が有料なのを考えていなかったので、手持ち金ゼロのまま来てしまったんですけど。」と言うと、しばらく受付カウンターの中でこそこそ相談をして、またこちらに来て「今日はお金が無いのは仕方が無いのでこの駐車券で通って、次回いらっしゃるl時に今日の駐車券代もいただきます。」と、無料の駐車券をくれた。

やれやれ。

 

テルミさんも見た目は若いけど、70歳超えた「おばあさん」だもんね。

ちょっとやることが晩年のじいちゃんに似てきたなぁ。

自分が思っていたことと事実が違うとパニックでどうしようもない行動に出ちゃうんだよね。

とりあえずそれで今回は乗り切ったけど、次回からが思いやられるなぁ。

「病院が駐車場有料なんて有り得ない!貧乏人は病院に来るなって事!?」とか、車に乗っていてもプンプン怒っているので、家に着いてから、事のあらましをLINEでおじに相談したところ、「水汲みに来い。」の一言。

嗚呼、最近のおじのこの一言って、大抵おじが何かしてくれる時の一言なんだよね。

 

で、いつものように空のペットボトルを2L×6本と1L×2本をかごに詰めて行くと、私がペットボトルに水を汲んでいるところにおばが、「はい。」とだけ言って、封筒を置いていく。

「ありがとう」と、水を汲む手も止めずにお礼を言うと何も無かったかのように扉が閉まる。

おばも昔は私ともすごく懇意にしてくれて、姉ふたりが頼りない時でも電話で話を聞いてくれたり、手作りの珈琲牛乳を飲ませてくれたりしていたけれど、ある日、事故に遭って、人が変わってしまった。

おばの脳内では一気に私たちは守銭奴一家でおばやおじにたかってばかりなのにたくさんの障害年金をもらって暮らしているノーテンキに変わって、で私は「必ずお金を取りに来るイヤな姪」になってしまって、昔のように労わりあうことができなくなってしまった。

「ねえちゃんは私と元の関係には戻れないの?」と一度だけ問うてみたら、おばの目にみるみる涙が浮かんできて「アナタ、お願い。」と、私とおじを置いて奥に引っ込んでしまった。なんだなんだ?と思っていたらおじが今のおばの状況を説明してくれて、「そっとしといてやってくれ。」と言われたので、其処からは、おばは可哀想な人で、おばとは「おはようございます」「こんにちわ」「おやすみなさい」「ありがとう」「ごめんね」の五個の台詞のどれかしか言わなくなったし向こうもそっちの方が良いようだったので今の関係が続いている。

 

話が飛んだが、おじのおかげで状況がひっくり返る事がままあって、おじもうちの家族の後見人みたいに頼れるおじで、頼り過ぎて嫌われてしまったが、「助けて」と言うと必ず助けてくれるスーパーヒーローみたいな人だった。

けれど、パンデミックで収入が減り、自分たちが食べるのがやっと、という状態で事業を続けていて、零細企業ではあるのだが、なんとか下のおじの生活費を出さないとなのでチマチマと仕事をふたりで休みなくやっていて、その姿を見ると、あの、チマチマ、ひと口いくらになるか分からない安い仕事を根気に続けて、何とか倒産を免れている、そこから私たちが「にいちゃん、助けて!」と言うと必ず助けてくれる、つまり「塵も積もれば山となる」を体現しているところを私たちが「にいちゃん、ゴメン!」とか言って掻っ攫っていってしまうのだから、おばの怒りも(事故に遭っていなくて健康であっても)ごもっともなのだが、就職できない、テルミさんは贅沢は止めない、私は仕事が見つからない、けれど、今、こうしてパソコンに齧りついていないと自我が崩壊しそうで、宗教もすっかり自分の生活の一部となり、自分たちのしてきたことをハッキリと鏡に映されたように見せられて、私は何処まで無力なのか、どうしようもないクズなのか、まざまざと思い知らされて、改めて真人間とは、という定義を自分に突き付けられて、今に至る。

 

「にいちゃん、ごめん。」はまた習慣化しつつあるし、水も汲みに行くし、私も知恵足らずなので、おじの方が顔は普通にしているし軽い感じで居てくれるので助かっているが、内心はきっと「俺の方が泣きたいわ!」と、思っているんだろう.。普通にしていないと色々重圧があってそれこそ自我崩壊モノなのを細い糸のような神経一本で保っているんじゃないかと思うので、余計なコトは言わないようにしている。

 

すっかりおじの話になってしまったが、テルミさんはおじに着信拒否されているらしく、私のLINEだけがおじの相談窓口というか、チラウラ的な長文を送ると、「またブロックされたい?」と、淡々と脅してくるので、今のこの日記のような余分なことは一切言わず、「スミマセン、がそりんヲ恵ンデイタダケナイデショウカ。」「アリガトウゴザイマス。」「以後、気ヲツケマス。」みたいな感じで、短く端的に用事を言わないとブロックされるので、おじの気分を損ねないように用件は絞ってLINEを飛ばすようになった。

 

子供の頃から、それこそオムツを替えてもらったりミルクを飲ませてもらったり、からはじまって、色々VTR(←今あったらプレミアが何百万もするだろう。)を当時最新のAV機器で観せてもらったり、おじは昔は市民交響楽団の一員だったので、上質な音源を子供の頃から聴かせてもらったり、解るお年頃になってからは、壁面いっぱいの本棚に手塚治虫の作品があって(←これも表に出しておくとマニアが盗んで行ってしまいそうなレアと言うかコアなモノばかり。)、それを熟読して育ったので、もう、情操教育という面ではお世話になりっぱなしのおじなので、つい気が抜けるとタメ口、長文になってしまうのだが、今は私もいい年だし、おじも気力も体力も昔のようにはいかないし、仕事も単価の安い仕事でもおじふたりで協力して何とか食べているようなので、なるべく其処に水を差したくないのだが、うちもギリギリで、私は何とかテルミさんと私とが納得するようなお金の使い方って無いんだろうか、ずっと考えている。

 

で、タイトルの「四面楚歌。」なのだが、お財布はおじがくれたお金で病院の駐車場代と、私のスマホ代はなんとかなったが、次の年金までに支払うものがまだまだあって、でも就職活動はなかなか上手くいかず、次は何処の何がどう来るか分からないので、本当にサタンに叩かれているんじゃないかと思う位くらい色々あるので、今度の年金までにまだおじに頼らなければいけない事が諸々あって、おじがいつ「プッツン」しないか、恐々で「オ水、貰イニ行ッテイイデスカ?」を繰り返している。

 

「四面楚歌。」は、私ではなく、おじの方だったりして。

 

は~、おじには悪いけれど、ひさびさに超長文書いてスッキリしました(笑)