ワハハむーむーさんの脳腫瘍闘病記編 -2ページ目

ワハハむーむーさんの脳腫瘍闘病記編

よく笑い、よく生き、よりよく死ぬことがモットー  
『たかが頭痛が脳腫瘍!』になってしまったワハハむーむーさん  
それから、それから、、、、

☆ はじめは眼科へ    視力検査

2000年1月


 眼科へ行って、前回と同じような、検査。
眼底の写真も何枚も撮り、そのできた写真を見て、眼科医の先生、



「 昼食をとってから、また検査をしましょう、あ、その前にCTを撮ってきて下さい。
   そして脳外科へも行っていただかないと。」


(うん?なんだろう?)

 

朝、私を送って来ながら娘、



「 お母さん、きっと脳外科にっていわれるよ、
お母さん頭おかしいもんんね、いつもへんなことばっかり、してるでしょ 」

と、普段からふざけて、おかしなことを言ったり、やったりしている私に、
彼女もふざけてそんなことを言ってた。



( なんかあの子の、言ったとおりになってしまった、、、 )

と思った私。

 それくらい、私達はまだ脳外科というのが、どいうところなのか知らなかったわけで。
頭のへんな人が行くところ、くらいにしか、考えていなかったわけで。

まったくひどい。誤解なんてものではない。




 その日は午後から再び、今度は造影剤を点滴しながら、眼底の写真を撮影。


これはちょっと辛かった。
ずっと目を開いてなければならず、眼球も動かせない。

 そして終わってから、先生と技師の方が二人で、なんだかすごい顔つきで私に言う。

「 今日はもう夕方で終わってますが、明日には即、必ず脳外科に行ってください。」

 わたしは二人のあせっているような、顔つきの意味もまだわからず、
ちょっと不思議な気分で逆に

「 そんなこと言われても、月末で忙しいし、無理ですよ。 」

と言い返す。

 はっきり「 腫瘍がある 」 と言ってもらえばまだよかったのに。

「 なにかできてますから 」では ピン とこない。

でもその時はまだ、脳腫瘍 とわかってない時だった。

医師たちにもなにかだったんだ。

その時は 脳動脈瘤 かもしれなくて、それが破裂する事を、心配されてたいたのだ。

なのに言い返すなんて、ひどい患者だ。




つづく





闘病記なんぞ書いてみようか。

まず始め。

そうそうあれは10年前になってしまう。

2000年の1月末のことだった。


◆◆  私の頭痛  ◆◆

そう、あの頃、思い出せば気味が悪くなるほど、

いっぱい、薬を飲んでたなぁ。

寝てるつもりで、寝てもいなかったなぁ。

眠るって感覚を、もう忘れちゃってたなぁ。

知らないうちに、デキモノ は、

だんだん大きくなっていったのねぇ。



☆ 診断を受ける前後の記録 ☆


10代の頃から、30年にわたって、長年頭痛に悩まされてきてた。

私の頭痛は毎回ひどく、無理してでも眠らないと、治らない。
そして、頭痛がおきると、必ず嘔吐していた。

今から思えば、それはだいたい昼間に、起きていた。 

     ↑

 ここが違うので、要注意!

私の母も、20代からよく頭痛で、困っていたと言っていたな。
でも40歳頃から、なくなったと言っていたので、私もきっと体質が似ているだけで、
そのうち頭痛が起こるのも、間遠くなるだろうと思っていた。 


  ↑

 あまい!

あんなに苦しい頭痛、我慢しないで早く病院へ行けばよかった、、、

だんだんひどくなるばかり、なのに日々の忙しさに自分をごまかし、
市販の頭痛薬と、ユンケルの錠剤で済ませていた。


(これ薬物乱用頭痛って言うんじゃないのかな。今考えると)


そして知らないうちに、頭の中のできものは、成長を続けていた。

     
↑  ↑  ↑

    こわ~い、あぶな~い


バッグの中、机の引出しの中、ベッドのそば、私のまわりには、必ず頭痛薬。
でもこんな人は、結構いるので関係は、あまりないと思う。

私が 脳腫瘍 と診断される5~6年前ごろからは、痛みの時刻が早くなっていた。

一旦寝付いてから、夜中にあまりの痛さに、目が覚めてそれから朝まで眠れない。だから毎日睡眠不足


  

それでよくやってたな、ホント

いくらなんでも、気が付けばよかった。ばーか。


私の脳腫瘍は 海綿静脈洞髄膜腫 といって良性腫瘍
 

それがあんまり大きくなって、きめられた容積しかない頭の中で、血管や神経をひっぱり、痛みが激しくなっていっていた。

海綿静脈洞というのは頭蓋底にあり、静脈の中を神経の束が、はしっているそうだ。
体のなかでこんな複雑怪奇な、ある意味面白い場所はここだけです。

とドクターが言っていた。

          ↑ 私にはおもしろくないぞ

そこに髄膜腫というものが血管と神経を巻き込み、はびこり大きくなっていた。
髄膜腫というのは100種類以上ある 脳腫瘍 のなかでも、とても固いもので、
それが血管や神経を、圧迫していてはたまらない。 

 

    ↑

 知らないということは、おそろしい

長いあいだかなりひどい 偏頭痛 に悩まされてきていた事が、

「 やだな、またきたかぁ 」



と、へんになれっこになっていたのがいけなかった。

いつもの行きつけの美容室で

「 そういえば手術の5~6年前頃から、『 頭痛持ちの頭痛がこのごろ時間が変わったの 』って、髪をやりながら言ってたね 」 と、

あとになって同じ美容師さんに言われたっけ。

「 おまえの目の開き具合がおかしいのも、ずいぶん前から、俺が言ってたじゃないか 」

と夫にも言われたっけ。
夫婦生活が長いと、相手の話は右から左へ抜けていくだけ。
その会話は全く記憶にない。(笑)

どんなに忙しくても注意は必要。他人の忠告に耳をかすことも。

自分の体のことは、結局自分しかわからないのだから、
少しの変化でも気をとめないと大変な事になっているかも。
取り返しのつくことならいいけれど、そうでなくなっているかも。 

 ↑

要注意


2000年1月 

パソコンの字が見えない。

車を運転していて、左右の目の視点が定まらず、危なくて仕方がない。

人と話していて、目をしっかり開けているだけでも、相当疲れると自覚して、
やっと病院に行ったのが、一月のおわりだった。

娘に 

「 お母さん、ほんとにへんだから、今度の金曜日、ぜったいになにがあっても、
たとえお葬式ができても、病院に行ってよ 」

と言われ、実際にお葬式ができてしまった。が、それは夫一人にまかせ、
大学病院の眼科へ行った。




実はそれより1年半前の1998年8月に一度、眼科に行って診察を受けた。

父の法事で集まった時、久しぶりに会った姉に、

「なんかおかしい、片方の目がちゃんと開いてない。元気がないようにみえる、、
お医者さんに診てもらった方がいいよ」

と言われて行ったのだ。




その時の検査は、眼圧測定と瞳孔をひらいて診てもらっただけ。

Dr 「べつに特別異常はないですよ」

自分でもそれならいいや、一応病院で診てもらったんだからと安心をした。

この頃は、まだ自覚症状がなかったのだ。



つづく







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こちらアメブロでは、私の脳腫瘍(海面静脈洞髄膜腫)のことをぼちぼちと書いていきます。


どなかのお役に立てば幸いです。


以下簡単にmy脳腫瘍の病歴を


  2000年 2月  開頭手術

        3月  ガンマナイフ照射


  2004年 4月  再発 ガンマナイフ再照射


  2008年10月  腫瘍増大 ガンマナイフ照射