ひたちときわ&Friendly happines talk@れいわ編

ひたちときわ&Friendly happines talk@れいわ編

Yahooブログが閉鎖することになり、
新たに令和時代を迎えたと同時に、Amebaブログでも続けることにしました(^O^)
まだ、移行ツール記事はありませんが、9月には、Yahooブログの過去記事をこちらに載せます‍♂️

15年。
私の15年前のことは今でも鮮明に忘れることが出来ません。

当時(今もですが)、千葉県在住在職の私が職場で作業中、
何か屋根下の窓の音がミシミシ、と音を立てて響き、
段々とその音は大きくなり
目の前のプレス機械に向かって作業中の私に
機械が倒れるのか?そんな怖い思いをしながら
職場全員が外に向かって避難。
建物の周辺では、隣のクレーンを扱ってる会社のそのクレーンがゆらゆらと揺れて今にも倒れそうで。。

携帯の速報ニュースで
震度7と驚き(千葉県は震度6強)と只事ではなかったと。
携帯から家に📲しようとしても話し中で
職場の同僚たちもニュース見たり、家に📲しようにも話し中と、みんな不安な状況。

その日は、残業することになっていたものの、
同僚たちの家のことなど心配で、急遽定時上がり
私は他の何人かの同僚たちと車🚐で送迎。
北柏駅近くで降りた後、地震で🚃電車が動かないので、
北柏駅から隣の我孫子駅まで🚶‍♀️徒歩で1時間以上。
まわり見てもみんな歩く歩く、と皆さんも不安そう。
途中家に📲何回もするが結局家に着くまで📲繋がらず。
ますます私が不安に陥られそうになりながら、
家に着いて、父と母と弟の顔を見た瞬間、
泣きそうになりながらホッとした
長い一日だった。

翌朝、会社に家の状況が散乱して後片付けしたいので
休みます、と会社に📲したら
「何が家の後片付けだから休む?仕事に来い😡」
と社長。
みんな同じ気持ちだったと思うのだが、仕方なく職場へ。

その当時をYahooブログで発信して
ブログ友達の安否を確認したのも
不安心配尽きなかった私には有効な手段だった。
みんなの報告でホッとしたり泣きそうだった当時が
今でも忘れることが出来ません。

画像は私の田舎、茨城県の
「東日本大震災 茨城全記録」
15年たった今でもAmazonとかでも販売してるらしいです。
大震災から1ヶ月近くたったある日に、水戸や鉾田にも行きました。
ショックでした。崩壊したり、家の屋根にブルーシートが張られたりと、未曾有の大震災の被害の深刻さを見せつけられた茨城。
岩手、宮城、福島がクローズアップされて、同じ深刻な被害を受けた茨城のことが忘れさられた被災地であることにショックを受けました。同じ目線で欲しいのに。。

今日1日が無事に平穏に終わることを祈ってやみません。。