O田家について一番肝心な説明をすっぽ抜かしていたのでここで記す。

 O田家はいわゆる『ぽつんと一軒家』状態の場所に家屋があった。

 周りは山、近所など無い、人間よりもイノシシの数が多い、たまに聞こえる発砲音(猟師が来ている)と……これだけ書けばのどかな田舎の自然豊かないいところじゃないか、と思われるだろうし実際言われたことがある。

 

 だがしかし待ってほしい。果たしてそれは本当だろうか?

 よく考えてくれ、周りに店もなけりゃ友達の家にもおちおち遊びにいけない。おまけに当時は野犬が大繁殖していてうかつに出歩ける山ではなかった。

 

 家の中では中で、どこから入ってきたか分からないムカデやらドブネズミやらとエンカウントしトイレは汲み取り式飲み水は何か濁った井戸水だ。これがあこがれの大自然の一軒家か?

 都会人(とかいんちゅ)ならば三日持てばいい方である。

 そんな中でトキノカは幼少期をバァバと二人っきりで過ごした。当然友達なんてレアドロップ品どこにも落ちてはいない。

 

 そんなこんなでトキノカに物心がついたのは29か月くらいとみている。

産まれたばかりの妹ヒトチャの顔が見たくて、厚紙の絵本を積み上げ精いっぱい背伸びして、ベビーベッドを覗き込んでいるのが最も古い記憶だ。

 それと同じくらいに古い記憶が初めて保育所に連れていかれた日である。

 

 初登園の日、確か晴れの日だった。うららかな春の日差しの下トキノカというと……全力の拒否で家に帰りたがっていた。

この世の不幸をすべて背負ったような顔でギャン泣きだ、大人たちからすれば最高に面白い見世物だっただろうし、自分がその立場だったらこらえ切れずに噴き出す、間違いない。このカシオミニを賭けてもいい。

 

 まぁここまではよくある話だ、問題はその後から這い寄ってきた。

 なにせ当時の幼女トキノカは集団生活など経験した試しなぞないし、親の躾なんて高尚なもんは受けてなかった。

 祖母バッバ? 育児してたのに躾しなかったのかい、だって?

 残念ながらその通りだ。バッバは衣食住の面倒見てくれたが……息子ノリをあんな感じに育ててしまった親でもある、ノリの状態を見てくれ、そういう事だ。

 

 バッバは二大やべーやつと同居しているせいでマトモっぽく見えるが一般人からすれば充分にやべーやつだった、やはりバッバもまたやべークソ家族O田家の一員だった。

 例えるなら……ここに注射を嫌がる我が子がいるとしよう。一般的な考えならば、病気を治すために必要なのだと、子供に言うだろうし手を変え品を変えなんとか打たせるだろう。だがしかしBUT祖母バッバは違う。「かわいそうだから連れて帰る!」これである。

 

「わたしゃ看護婦だったんだ、病院のことはよく知ってるんだ、あいつらはいつも大げさでちょっとでも治療してカネを取ろうとする、だからこれくらい本当は注射をしなくても大丈夫、こんなに泣いてるのにかわいそうでしょ」

 

 看護婦(あえて当時の呼び方)なのは半世紀も前の話だ、現代は考え方もアプローチの仕方もバージョンアップされまくっている。当時の知識のままのバッバのなんちゃって診察など正直アテにはならない。なのにバッバはそれを信じて疑わないし、注意されたらされたで酷い癇癪を起す。

 つまり、だ。かんしゃくを起こす孫娘に対してバッバは“かわいそうだから躾なんてきゅうくつなマネしたくない”そういうスタンスだった。

 

 なので無知の皺寄せは初めての集団生活の保育所で顕著となった。

 まず皆で「いただきます」の食事習慣が無かった、だから自分の前に来た食べ物はさっさと食べていた。そして先生に叱られた。

 力加減も分かっておらず、気に入らなければ手を上げた。父母がしているだから同じように振舞って、それが駄目な事だと理解なんてこれっぽっちもしていなかった。

 

 つまり幼女トキノカは躾のなってない野生児であった。

 なので当然保育所ではぼっち筆頭の大問題児だ、すぐに保育所から脱走するし、言うことも聞かず藤の花を千切り、ピンク色のお気に入りのおもちゃが無いとオトモダチから奪ってでも自分の物にしようとする。

 

 改めて振り返ると我ながら恥の塊と言ってはばからない幼少期だ。こんなクソガキ、10万貰ってでも面倒などみたくない。流石にここまでやらかしたらO田家メンバーも考えを改めるか……と思いきや現実は非常だった。

 

「こころの せまい やつらめ」

「こどもの したこと で いちいちさわぐな」

※オブラートを百枚くらい巻いてだいぶマイルドにしてRPGの世界に落とし込んだ表現。勇者だったら助走つけてロトの剣を投げつけてくるレベルではある。

 

 要約すれば子供に道徳のなんたるかを教えずに被害者ぶっているだけだった。なにひとつ問題の解決などできていない。

 彼らにとってトキノカは良い子だろうが悪い子だろうが、どっちでもいい子だった。

 親のいう事さえ聞いていればどんなに問題があろうが黙殺された。この辺は母サッチィと同じ扱いである。(ただサッチィは問題を持ち込みまくるので多方面からお叱りが飛んでくる)

保育所で何をしていようが自分の不都合になってなければオールオッケーだったから、トキノカが問題を起こしてもそれは保育所側の責任と考えていた。

 

唯一父ノリと母サッチィが乗り気になるのが保育参観だった。それはなぜか、そう良い親アピールができるからである。なのでアピールが済めばさっさと自分の都合を優先して帰ってしまう。父ノリは特に顕著で、母サッチィはそもそもホゴシャカイナニソレ? 状態だった。

当然保育参観の前後は「本当は行きなくないんだけどなー」「しょうがないから行ってやるんだぜー」といつものモラハラテンプレートも忘れない。流石モラハラクソ野郎、そこに痺れないし憧れない。

 

 おや、あまり登場しないと言っていた父ノリがここで再登場するとは思わなんだ。少し付け加えるとするとトキノカ保育所時代は車を運転できる人間が父ノリしかおらず、彼がトキノカとヒトチャの送り迎えをしていた。