存在しているということは、誰かに影響を及ぼそうとしている。
表現することから、歩き方や立ち振舞いまで。
行き交う人の視線のやりとりまで。
それが嫌になって引っ込んでいるときもそう。
映画や音楽、アートもすべてそう。
日常会話もすべてそう。
私たちすべての存在は、影響を与えることが目的だ。
誰かに。この世界に。
はじめはひとりよがりになり切る。
主観の世界を突き抜けて進んでいく。
究極のKY。
めっちゃ楽しい時期。
白い目で見られた?
よしよし。私の輝きに嫉妬したんだろう。
本来の一番正直なあなたでいることに、
あなたは一番罪悪感を感じるように設計されている。
正直になればなるほど、輝きすぎてしまうから。
大人になればなるほど遠慮する。
だってうちらみんな空気読めちゃうじゃん。
一番かっこよくて一番天才なあなたで存在することに、強烈な罪悪感が植え付けられている。
一番正直な自分でいること
一番欲しいのに、一番怖くて一番恥を感じるように設計されている。
自分が"ありのまま存在している"という、この上ない「表現」。
このステージを楽しんだら、次は
他人の天才性に埋没し切る、酔いしれる、恋する。
影響を及ぼされる。魂を動かされる。
一番すごい私は、もう全部わかっている。そんなん、めんどくさい。
「もうわかりきっている、知ってる知ってる、私はもっとすごい」
影響されてたまるか、
私のすごさに酔いしれるのを1秒でも邪魔するな、
私の無限の思考がぐるぐる回っている時間を1秒でも邪魔をするな、
私が主役である時間に冷や水をかけるな。
もったいない。損する。そんな時間ない。
他人の天才性に感服しきって、
感動しきって、
魂を持っていかれる。
魂を震わせて、他人の美しさに恋する。
だれかが魂を震わせて歌う歌声にうめきながら泣く。
映画の美しい世界観に衝撃を受け、しばらく動けなくなる。
そこらへんの像のなかにたまたま居座って宿っていた、宇宙人のエネルギーのかっこよさに感服して、溢れる涙の暖かさに浸る。
道端のおじさんの瞳の優しさに涙する。
タクシー運転手の、絶妙な運転の天才性に恋する、ときめく。濡れる。
緊張で震えながら歌い出した少女が、自分と戦いながらほんとの自分に戻って
声が切り替わる瞬間に
痺れるくらいノックアウトされる、恋する。
何度も何度も思い出して、涙する。
感動で身体を震わせて、号泣する。
身体が歓喜で痺れている。
いつも何もわかってくれんあいつの優しさに気づいて、号泣する。
そうだったんだ、わかってなかったの、私だった。なんてわかりづらいんだよ、あいつは。なんて愛しかないんだよ。
これは、自分の天才性を楽しむのと全く同じこと。
他人のすごさに感服する、号泣して、ときめきまくって、恋する。
自分の天才性を楽しみ尽くすこと、恋すること、
他人の天才性を楽しみ尽くすこと、恋すること、
寸分の違いもない。
誰かに魂から影響を与えて、誰かに魂ごと影響される。
いま、ここ、に、数え切れないくらいの天才性が溢れている。みんなの。私の。
新たな次元の扉は今ここにある。常に。
そしてカラクリについて。
他人の天才性を見ない、楽しまない、
というケチな自分の決意から卒業すると、
自分の天才性が爆発するという、最高のサイクルが加速度的に始まっていく。