▲飯沼貞吉ゆかりの地
北海道札幌市中央区
▲札幌第一ホテルの敷地内にあります。
▲その西隣はアパホテル札幌すすきの駅南です。
何故会津藩の飯沼貞吉ゆかりの地がこの札幌にあるのかご存じですか?
その前に飯沼貞吉を知らない方が殆どでしょうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190928/10/toishiyama/93/39/j/o1080081014601076305.jpg?caw=800)
▲白虎隊十九士の墓
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
飯盛山の中腹にあります。
「動く坂道」スロープコンベアだと楽に登られます。
250円です。
私も楽したいのですが、やはり階段で登ると言う方が必ずいます。今回は3名。
仕事の私がお客様が階段なのにスロープコンベアに乗るわけには行きません。
▲会津飯盛山宇賀神堂
(隣の売店で御朱印頂けます。飯盛山ではもう一ヶ所資料館御朱印あり)
寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建設され、現在は明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られています。
▲さざえ堂(円通三匝堂)
400円
▲国の重要文化財に指定されています。
▲階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築です。
▲最上部
▲隙間から下りが見えます。
自分が上ってる天井が下りの床になります。
▲さざえ堂から下ったところにある戸ノ口堰洞穴
江戸時代、猪苗代湖から会津へ水を引くため150mのトンネルが掘られました。
16~17の少年たちによって編成された白虎隊は、戸ノ口原合戦から退却し戸ノ口堰洞穴をくぐり、辿り着いた飯盛山で、鶴ヶ城の天守を覆い隠す、激しい炎と濛々たる黒煙を目にし自刃したと言われていました。
この時生き残ってしまったのが飯沼貞吉です。
白虎隊編成時はまだ15歳でしたが、長身だったせいもあり、嘉永6年生まれの16歳と年齢を1歳偽って申請し入隊しました。
飯沼貞吉の証言が近年わかり、城が燃えていたので自刃したのではないのがわかりました。
その時、隊士の間では城に戻り戦うか、敵陣に斬り込み一人でも多く道連れにするか、激論が交わされた。結果、彼らが選んだのは自刃。怪我をしてる者もいる若い彼らが戻っても足手まといで、捕らえられて生き恥をさらすより潔く死を選ぶことに決めたのだそうです。
手を怪我をしていた飯沼貞吉は首を何度も刺したが死ぬ事ができなかった。更に憎っき長州に捕らわれてしまいました。
悔恨の念から自分を責めて二度と会津の地を踏む事はありませんでした。
維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師となり札幌にも勤務したのです。次男は北海道寿都出身の女性と結婚しました。
札幌にも勤務していたと言うことでゆかりの地があります。
我が故郷福島と札幌が繋がってる感じがします。
北海道旅行に来た福島県の方も時間がありましたら、飯沼貞吉ゆかりの地にも足を運んで下さい。中島公園の近くです。
会津若松に行くと若松城には行くが飯盛山には行かない方も多いのですが、ここは是非訪れて頂きたい。
会津若松はボランティアガイドが無料で案内して下さいます。
http://www.tsurugajo.com/kankou/v_guide.html
私はプライベートでも利用しました。一人でも案内してくださいます。
日本中ボランティアガイドと言いつつお金を取るところが殆どの中、本当に無料です。
私は毎回お礼に北海道のお菓子を持参します。
▲昨日のすすきの交差点
札幌、昨日は雨でした。
▲昨日の創成川公園
今日から6日間のお仕事です。松島、奈良県、九州、姫路城、竹田城、天橋立なども観光します。