とても久しぶりの投稿です。
長く長く、空いていました。

父の闘病生活を支える毎日でした。

私の不登校も、何度も立ち止まってきた私の人生を、言いたいことは山ほどあったろうに、ひとまず私に任せておいてくれた、私にとってのスーパー父ちゃんでした。

最期の最後まで、全てを受け入れた父の生き様。この世界に残せるものは、自分の生き様だけだと強く思いました。


一番認めてもらいたかった父を失ったと同時に、父からの評価を気にすることもなくなりました。

なんとなく、自由になりました。

ですが、それがまだちょっと不自由です。


『学校行かれへんなんて、私のことアカンたれやなぁ、って思ってるやろうなぁ、お父さん』と、本当に父が死ぬまで、いや死後の今も思っています。

亡くなる1日前に、『アカンたれで、情けなくてごめんね』手を握りながら謝ってみました。

謝らない選択肢もあったのですが、やはり最後に言っておきたかった。


すると、父は、

『もう、ええ、うるさいな』


せやんな。最後の最後まで自分のことしか考えてない娘でゴメンよ。


なんだかスッキリしました。

もう、気にしなくっていいんだよね。

心配や迷惑かけてきたなぁって思わなくていいんだよね。

最期まで相当看たし、そばについていたし、なんやかんやでええ娘やったでしょ。


そんな娘は、もうしばらく、いろんな困りごとを抱えた方々と、頭を一緒に抱えながら、何が出来るか考える、そんな人生を歩んでみたいと思います。


季節はずれの桜並木の写真は、毎年毎年、父と歩き続けた場所です。

これからは、1人でもちゃんと歩くよ。



最後までお読みいただきありがとうございましたニコニコ