(おばあちゃんの昔話より)
このお話は、フィクションであって実際の事件、実在の人物とは無関係です
お坊さまは、しばらくの間、黙ったまま、憐れみと、悲しみの入り混じった複雑な表情を浮かべられながら、祐貞の顔を、じっと眺めていらっしゃいました。
やがて、
「この子や、お前達使用人、そしてこの村を回って会ってき来た、この村の連中を見る限り、代々、仏の教に帰依し、長年にわたって仏道の修行に励む者達を庇護してくれていた、観佐衛門の家にも、この村にも、滅びの時が来ているようである。
全てのものに終わりがあるように、観佐衛門の家も、生々流転、盛者必滅の理(ことわり)から逃れる事が出来ないようじゃのー。
南無遍照金剛、南無遍照金剛」
「この子は、やがて、一粒のお米が、どれほど大切な物であるか、それが無事に実るまでには、どれだけ沢山の神や仏の助けがあり、それが人の口に入るようになるまでには、(この一粒のお米)が」どれほど多くの人間の、汗と脂が沁み込んでいるかを、骨の髄に沁み込むほどに、知る時がやって来るであろう。
しかしそうなるまでには、生きているのが嫌になるほどの苦難を、味わねばならないであろう。
哀れな事じゃのー。
この子一人の罪ではないのにのー」
「観佐衛門の家が立ち直れるかどうかは、この子次第であるが、それは容易な道ではあるまい。
ただ、幸いな事に、この子は、ご先祖様がこれまでに行ってきた積善の余慶を、沢山沢山に受け継いでいる事である。
これからこの子が生きていく上で、背く者、誹謗する者、騙そうとする者などなど、いろいろな人に遭い、悔しい目や、悲しい目を、見なければならない事も多々出てこよう。
しかし、幸いな事に、それ以上に、この子の背中を押してくれる強い力として、この子を支え、共に苦しみ、励ましなが、一緒に、苦難の道を切り開いていこうとしてくれる者達の存在が感じられる事である。
この子自体も、もともと素質を持った子であるから、正しい仏の道に立ち帰り、過ちに気付き、八正道を実践するならば、そういった人々の助けによって、己自身だけでなく、この家も、この村落も立ち直らせ、豊かさと、幸せをもたらす事になるであろう」
*
註:八正道(ハッショウドウ)とは、釈迦が説かれた修行の基本となる
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八種の実践徳目の事、すなわち正しい見解、決意、言葉,行為、生活、努力、思念、瞑想をさします
「観佐衛門殿には気の毒であるが、天は今のところ、この家や、この村落の運命に、私が干渉する事を望んでおられない」
「始まりがあれば終わりがあるように、終わりがあればこそ、始まりもある。この家も、長年続いた繁栄によって、不純な物、例えば驕り高ぶり、奢侈、増長、我欲、妄執、感謝の気持ちの喪失、憐憫の情の欠如、などなどといった諸々の物が、澱の(おり:液体の底に溜まった滓)ように、或いは老廃物のように滞ってしまったており。
まさに滅びの時がきているのであろう。
次なる始まりが本当にやって来るかどうかは、この子次第であるが、それはこのまま、自然の理(ことわり)に任せるほかあるまい」と呟かれると、そのまま、立ち去っていかれました。
その10
お大師様のこの呟きにもかかわらず、まだ何も気づかなかった祐貞は、勝ち誇ったように、
「インチキ坊主、糞坊主。やれるものならやってみな」
「お前なんか、怖くなんかないぞ。
罰でも何でも、当てられるものなら当ててみな。
ほら、ほら、どうだ。どうだ」と叫びながら、お坊様の後を追いかけるようにして、道にあったものを、手あたり次第掴んでは、お坊様の後ろ姿をめがけて、投げつけました。
「坊ちゃま、いけません。本当にお止めください。
これ以上そんな事をされますと、罰が当たって、口が曲がり、手が動かなくなってしまいますよ。
坊ちゃまの家だって、潰れて(つぶれて)なくなってしまうかもしれませんからね。
その上、死んだ後、地獄に堕ちねばなりませんが、それでも宜しいんですか」
お兼と、お米は、悲鳴のような声をあげて叫びながら、祐貞を、懸命に止めました。
そして、二人は、なおも抵抗して暴れ、お坊様に悪態をつき続けようとする祐貞を、抱きかかえるようにして引き摺りながら、家へと連れ帰ってまいりました。
その11
8代目観佐衛門さんは、既に、家に帰ってきておりました。
三人を見て、「ご苦労だった。」「それでお坊さまはどう言っておられた。さぞかし喜んでおられたであろう。」と機嫌の良い声をかけてきました。
いつも通りの御世辞たらたらの、お礼の言葉を期待しての問いかけでした。
しかし、お兼からは、すぐに返事が戻ってきませんでした。
なんだか言い出し難そうに、もじもじと言い澱んで(よどんで)おります。
「一体全体、それで、どう言われたのだ。グズグズしてないで、早く言ったらどうだ」
普段と違う女中の反応に、何か異様な気配を感じた観佐衛門は、苛立たしそうに、声を荒げました。
それに促されるようにして、お兼は重い口を、やっと開きました。
「それが、大変でございます。
こんな事、私が申しましても、実際に、お拝みにならなかった旦那様には、信じていただけないかもしれませんが、今回私どもの所にお訪ねくださったお坊さまというのは、普通の托鉢のお坊様ではございませんでした。
高野山で入定〈ニュウジョウ:高僧が死去する事〉された後も尚、苦界に沈む衆生を案じ、その人々を救うために、姿を変えて、国々を回っていらっしゃると、噂に聞いておりました、弘法大師さまその方だったのでございます」
「本当?話には聞いたことがあるけど、本当にそんなことがあったんか。
ちょっと信じられんなー。お前達、そのお坊様に、騙されたのと違うか」
「祐貞、お前もその尊いお姿を、拝ませていただいたのか」
「ウーン、ウ。見てない。こいつらあの坊さんの眠りの術に(催眠術)かかって騙されているだけだよ」
「いいえ、違います。騙されたのではございません。私どもはその尊いお姿を、確かに、拝ませていただきました。
金色に輝くそのお姿を拝見した途端、私もお米も、今迄、経験した事がないような、厳かな気持ちにさせられ、あまりの有難さに、思わず、手を合わせて伏し拝んでしまったほどでございました。
今になってみますと、それが夢、幻だったのか、それとも、本当にあった事だったのか、区別が付かないような奇妙な体験でございました。
でも二人が同じお姿を拝見し、別々の所に、連れて行かれ、ありがたいお導きを、頂いたと言う事は、やはり、あれは夢、幻ではなかったのだと確信しております。」
「お坊ちゃまは、何も見なかったとおっしゃいますが、旦那様のお怒り覚悟で、はっきり言わせていただきますと、それはお坊ちゃまの信心が足りなかったせいだと思います」
『お坊さまが、この家を立ち去られた後、台所で、無茶苦茶、陰口をたたいていた、私どもが一番悪かったのでございますが、それを聞いておられたせいで、お坊ちゃまは、お坊さまの事を頭から胡散臭い奴だと、きめつけてしまわれたのでございます。
その為、お坊さまの、本当のお姿、すなわち、このお方が、どんな尊いお方かと言う事を、見抜く事が出来なくなってしまったのでございます。
お坊様の方も、自分に対し、とんでもない失礼な態度で接してくる、小生意気な男の子の事を、「縁なき衆生」と考えられたのか、あるいは何か別の思惑がおありになった為か分かりませんが、本当のお姿、すなわち仏としてのお姿を、お坊ちゃまには、お見せにならなかったのではないかと思われます。
だからお坊ちゃまにはわからなかったのでございます」
次回へ続く