加佐登神社/白鳥塚古墳 (三重県鈴鹿市) | 陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

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ヤマトタケルを巡る今回の日帰りツアーの最後に、同じく三重県の能褒野古墳から東に数kmの地点にある、白鳥塚古墳に来ました。

 

(今回も古墳のため、記事ジャンルを”浄化日記”に指定していますが、浄化はしていません。)

 


加佐登神社の外鳥居






白鳥塚古墳の案内図






”有力な豪族の首長”説が既に書かれています。
能褒野古墳から数kmしか離れていないし、能褒野古墳の渡来族と関係が深い古墳だというのが、妥当なところでしょうね。

円墳っぽいですが、四角い部分がちょっとだけ付いている、ホタテ貝式前方後円墳だそうです。



案内図2




さて、まずは神社に参拝していきます。




加佐登神社の参道

 

 

 





・・・。かなり鳥居が多く、最後は灯篭のラッシュです・・・。
こういう仕組みの場所は、稲荷だったり、神隠系だったりする場所が多く、不安・不穏だったのですが、ネガっぽいエネルギーは感じないです。

武人系エネルギーに祈りのバリアエネルギーをミックスさせたようなひんやりした感じです。



境内正面





手水舎




拝殿手前正面





ビリビリしたバリア系の白いエネルギーが取り巻いており、清涼になってきました。

古墳は、人由来のネガ・陰エネルギーが強い場所という認識ですが(お墓ですし、意識体を閉じ込める結界が何重にも張られていますし)、

古墳にある神社は、祝詞などの神事のエネルギーでそれらの陰のエネルギーを撥ね退け、バリア系の白いエネルギーで満たされる場所が多いようにも感じます。
日本神道で行われている神事が、浄化や浄霊という意味で分かり易い効果があると言うことでしょう。


由緒板




拝殿

 

 

 





強力なバリア系エネルギーに優しさ由来の癒しエネルギーが混ざっているように感じます。古墳周りのネガエネルギーは一切ありません。すごいですね。
”破邪の波動”+”やさしさ”という感じです。好きなエネルギーです。

人々の祈り・憧れ・癒しなどの集合体意識を強く感じました。心が温かくなる感じです。

右側の稲荷摂社




うーん、やめておこう。



神社から古墳に向かう道を進みます。


古墳への道

 





どこが道かわからない、丘の道を進み、古墳前の溜池に到着です。
 

 



夕方手前の陽が反射して綺麗です。



白鳥塚古墳入口






細い石段を進んでいくと・・・。
古墳前に出ました。


白鳥塚古墳(正面)

 

 




正面からは、ネガっぽい人由来の陰エネルギーを感じます。
ズーンって重たくなります。
 

 

 

 

 



白鳥塚古墳(全体)




白鳥塚古墳(側面の丘が見やすい場所)

 

 





側面からは、ネガのエネルギーはあまり感じませんが、陰のどっしりエネルギーです。
日本神道とはことなる性質の、陰寄りの祈りエネルギーを感じます。



これも、12代天皇の実子であり、14代仲哀天皇の父であるヤマトタケル(小碓)の古墳というよりかは、やはり東征の立役者であり、ここに居を構えた渡来系豪族一族の古墳として考えるとしっくり来ます。能褒野古墳の一族の関係だと感じます。



帰る際、神社の外鳥居に、恐らくオスを食べてお腹が膨れたであろうメスのカマキリがヨタヨタと歩いていました。

 


 

 


”いのちを繋ぐ”




という重いテーマ・メッセージを伝えてくれたようでした。






【考察】
ヤマトタケルが能褒野古墳にて弔われた後、白鳥となって大和へと向かうというストーリーについて、


”東征にて活躍をした、天皇側近の渡来族が、能褒野と、そこから大和朝廷の方向に進んだ白鳥という地名に古墳として祀られている。”


という風に解釈をするならば、この白鳥塚古墳は、反対の方向であり、能褒野古墳の一部として考えるのが適切のようです。



能褒野と、そこから大和朝廷の方向(奈良県桜井市)に進んだ白鳥という地名を見てみると、

 

 

奈良~大阪に向かって2基、白鳥凌があり、さらにその先には、ヤマトタケルを祀った、大阪の一宮である、大鳥神社があります。

 


この古墳たちと、神社の付近が、東征の立役者の渡来族が居を構えた場所である。と考えるのが妥当なようですね。



ちなみに、大鳥神社の祭神には、天児屋命(あめのこやねのみこと)があり、これは中臣連(なかとみむらじ)らの祖と言われています。


つまりは、大祓詞を作った中臣、そして平安に絶大な権力を振るった、藤原氏の祖が、東征の立役者であるということを示しているのではないかと感じています。
面白いですね。


そして、能褒野古墳のすぐ近くには、伊勢一宮である都波岐奈加等神社があります。
そこでは、天椹野命(あめのくぬのみこと)が祀られていて、同じく東征の立役者のようで、それらの一族が能褒野古墳に祀られていると考えるとすっきりします。



これらの関係が書物に残されていないのか調べてみると・・・。



物部氏寄りな古事記由来の『先代旧事本紀』によると、

天降ったおりに高皇産霊尊から防衛(ふさぎのもり)として以下の三十二人に命じて随伴させたとあり、

降臨に随伴した神
    天香語山命(あめのかごやまのみこと)、 尾張連(おわりのむらじ)らの祖
    天鈿売命(あめのうずめのみこと)、猿女君(さるめのきみ)らの祖
    天太玉命(あめのふとたまのみこと)、忌部首(いむべのおびと)らの祖
    天児屋命(あめのこやねのみこと)、中臣連(なかとみむらじ)らの祖
    天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)、鴨県主(かものあがたぬし)らの祖
    天道根命(あめのみちねのみこと)、川瀬造(かわせのみやつこ)らの祖
    天神玉命(あめのかむたまのみこと)、三嶋県主(みしまのあがたぬし)らの祖
    天椹野命(あめのくぬのみこと)、中跡直(なかとのあたい)らの祖
    天糠戸命(あめのぬかどのみこと)、鏡作連(かがみつくりのむらじ)らの祖
    天明玉命(あめのあかるたまのみこと)、玉作連(たまつくりのむらじ)らの祖
    天牟良雲命(あめのむらくものみこと)、度会神主(わたらいのかんぬし)らの祖
    天背男命(あめのせおのみこと)、山背久我直(やましろのくがのあたい)らの祖
    天御陰命(あめのみかげのみこと)、天照大神の孫神、天津彦根命の御子神(嫡男)、御上祝(三上直)(みかみのはふり・みかみのあたい)らの祖[3][4][5]
    天造日女命(あめのつくりひめのみこと)、阿曇連(あずみのむらじ)らの祖
    天世平命(あめのよむけのみこと)、久我直(くがのあたい)らの祖
    天斗麻弥命(あめのとまねのみこと)または天戸間見命(あめのとまみのみこと)、上記の天御陰命と同神(天御陰命の別名、厳密には人型の天御陰命が化身した姿)である。額田部湯坐連(ぬかたべのゆえのむらじ)らの祖であるが、天戸間見命で名乗った場合の嫡流は凡河内国造(おうしこうちのくにのみやつこ)である凡河内氏(おうしこうちし)[3][4][5]。なお、他にも龍神に化身した天目一箇命(あめのまひとつのみこと)という別名もあり、この場合の嫡流は山背国造(やましろのくにのみやつこ)である[3][4][5]。他にも、天津麻羅命(あまつまらのみこと)等多数の別名がある[4]。
    天背斗女命(あめのせとめのみこと)、尾張中嶋海部直(おわりのなかじまのあまべのあたい)らの祖
    天玉櫛彦命(あめのたまくしひこのみこと)、間人連(はしひとのむらじ)らの祖
    天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)、安芸国造(あきのくにのみやつこ)らの祖
    天神魂命(あめのかむたまのみこと)または三統彦命(みむねひこのみこと)、葛野鴨県主(かどののかものあがたぬし)らの祖
    天三降命(あめのみくだりのみこと)、豊田宇佐国造(とよたのうさのくにのみやつこ)らの祖
    天日神命(あめのひのかみのみこと)、対馬県主(つしまのあがたぬし)らの祖
    乳速日命(ちはやひのみこと)、広沸湍神麻続連(ひろせのかむおみのむらじ)らの祖
    八坂彦命(やさかひこのみこと)、伊勢神麻続連(いせのかむおみのむらじ)らの祖。一説に八坂刀売神の父
    伊佐布魂命(いさふたまのみこと)、倭文連(しどりのむらじ)らの祖
    伊岐志迩保命(いきしにほのみこと)、山代国造(やましろのくにのみやつこ)らの祖
    活玉命(いくたまのみこと)、新田部直(にいたべのあたい)の祖
    少彦根命(すくなひこねのみこと)、鳥取連(ととりのむらじ)らの祖
    事湯彦命(ことゆつひこのみこと)、取尾連(とりおのむらじ)らの祖
    八意思兼神(やごころのおもいかねのかみ)の子・表春命(うわはるのみこと)、信乃阿智祝部(しなののあちのいわいべ)らの祖。信乃阿智祝部については阿智神社 (阿智村)も参照。
    天下春命(あめのしたはるのみこと)、武蔵秩父国造(むさしのちちぶのくにのみやつこ)らの祖
    月神命(つきのかみのみこと)、壱岐県主(いきのあがたぬし)らの祖



>    天椹野命(あめのくぬのみこと)、中跡直(なかとのあたい)らの祖。
>    天児屋命(あめのこやねのみこと)、中臣連(なかとみむらじ)らの祖。

 

 

この2つの渡来族が、防衛(さきもり)として記載されているようですね。

 

 


ずっと気になっていた、ヤマトタケルのことについて、自分なりに納得できた旅になりました。


(2018.10.27)