東日本大震災を忘れないで。 -2ページ目

東日本大震災を忘れないで。

2011.3.11東日本大震災を忘れてほしくないために作りました。
いわきの災害ボランティアや震災に対する思い、
被災地で撮影した写真などをアップしていきます。

いま、いわきボラ仲間のallanさんが、福島県富岡町で被災した牛のお世話のボランティア活動をしています。



allanさんのブログね。

http://ameblo.jp/allan401/



彼から活動報告のメールをいただいているのですが、自分の想像と現実をはるかに超えた内容で、どう返事を返せばいいのか考えていたところです。

(多忙でレスできなかったというほうが言い訳に近いのですが・・・)



昨日、allanさんがお世話をしていた子牛が治療ができずに死んでしまったそうです。



生まれた子牛の半分は感染症にかかっているようです。

また、母牛からお乳をあげたくても、母牛が育児放棄をしたり、栄養失調によりお乳があげられない。

(母牛にはアミノ酸やワクチン接種も必要です)


しかしボランティアの主体となっている住職さんをはじめ、ボランティアのメンバーさんもみなさん素人で、家畜の技術はありません。



農業科を出たダンナさんにきいたら、牛のえさやりしかやったことがないと返ってきました。




もちろんワタクシも家畜の経験はないので、どうすることもできません。



酪農の経験がある方、もしくは獣医さん。

富岡町でどうか力を貸していただけないでしょうか。




住職さんの連絡先を記しておきます。


ブログ

http://ameblo.jp/fukushimakachikusos/



連絡先:
〒 964-0063 福島県二本松市才木山183番地
(宗)善弘寺内 『宗教法人 福島被災家畜を守る会』 代表 住職 山元志流
TEL/FAX 0243-24-3270 (善弘寺)
E-mail: fukushimakachikusos@gmail.com 携帯(急ぎの場合) 090-8610-2927 

久しぶりの更新になります。



実はワタクシの父方、母方のお墓は津波により流されています。


東日本大震災を忘れないで。

東日本大震災を忘れないで。


父方のお墓は本堂の裏側にあったため、墓石が動く程度で済んだようですが・・・



母方のお墓は墓石も遺骨も流されています。



震災から数日後、いとこたちで墓石を探してなんとか原型に保てたそうです。



今は父方、母方ともお墓は修理が終わっています。



費用はどちらも約10万円ほど。もちろん自腹です。

1年前、自分はどんな様子だったんだろうと思い、

震災当日にどんな様子だったのか、ブログを探してみた。


4月4日にアップされていたのね。

http://ameblo.jp/curel800/entry-10851687758.html

(骨髄バンクランナーの物語より抜粋)


東日本大震災が起きてから、ワタクシがまだ書いていないもの・・・

それは「震災直後のこと」です。


書こう、かこうと思っていても、なかなか手がうごかない。

決して怖くてかけなかったわけではありません。


なぜかかけなかったのです。


理由は自分にもわからないの、不思議でしょ。


震災から3週間が過ぎたので、震災当時のことを書こうと思います・・・。


長くなりますからねー。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


震災当日・・・

ワタクシはラーメンを食べた後、秋保温泉に来ていました。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_1420~01.jpg


14:20

秋保温泉の共同浴場にいました。。。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_1437~01.jpg


14:37

お風呂から上がって、チョコモナカを食べていました。


駐車場から車に乗り、エンジンを付けた直後・・・


突然、揺れが来ました・・・


そのゆれは大きく、すぐにやむどころではありません。


激しい揺れ・・・


ワタクシはハンドルを強く握り、大きな声で叫んでしまいました。


「いやーーー、こわいよーーー」


周りの木々や建物、車は大きく揺れ、野良猫はあわてて逃げる始末です。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_1451~01.jpg


14:51

揺れがおさまったときに、カーナビのテレビをつけると・・・

どこのチャンネルも地震のニュースばかりでした。


駐車場の向かいにある、お店屋さんのおじさんがきて、一緒にテレビをみました。

しかし、その直後も余震が続く・・・


おじさんは一緒にお店で避難するか?と話を持ちかけられました。

しかしこのままだと、もしかしたら帰れないかもしれない・・・


そして秋保にかかっている橋も壊れてしまうかも知れない・・・


大きなゆれがこないうちに、ワタクシは秋保から出る選択をしました。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_1510~01.jpg

15:10

太白区茂庭周辺。

すでに停電していました・・・


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_1510~02.jpg


もちろん信号もとまっていたので、交通状態がよろしくない。

信号が起動しないので、混乱している。


道の譲り合い?そんなのありません。

誰もかもが混乱しています。


最初は仙台の実家に行こうと思いました。


しかしワタクシの実家は仙台市の中心部。

信号が動かない以上、実家に帰るまで何があるかわかりません。

(実際、仙台市中心部は大変な交通マヒが起きていたそうです)


迷わず、村田町経由で自宅に戻ることにしました。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)


村田インター近く。

かわらが落ちています。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)


国道4号線、大河原バイパスっていうところでしょうか。

信号が止まっているので、交通マヒが起きています。

なかなかバイパスを越すことが出来ませんでした。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)


ダンナさんの職場近くにて。

道路が割れています・・・


場所によってはマンホールがでっぱってきたりしていました。


自宅に帰ってくるまでに、1時間以上のロスがありました。


自宅に帰る前に、職場に行ったワタクシ。

実は震度5以上で、職場に行かなければなかったのです。


職場に行くとみなさん避難していて、ケガもなかったようでホッとしました。


しかし、ワタクシは混乱状態で、職員に何を話していたのか記憶なし。

過去に3度の大地震を経験しているワタクシにとっては、地震は恐怖なのでした。

(宮城県沖地震、三陸沖地震、岩手・宮城内陸沖地震)


職場にくるまで、本当に怖かった・・・

ここまでこれたのも、奇跡だったんです。


もし仙台の実家にきていたら・・・自分は生きていなかったかも知れません。


少し落ち着いてから、自宅に戻ってくるとダンナさんがいました。

ダンナさんの職場は、急遽15時で終わったそうです。


ワタクシは職場に戻り、ダンナさんはダンナさんの実家にいきました。

それまでの約3時間、ワタクシは職場でお手伝いをしていました。


自宅に戻ると・・・

電気、水道はストップしていました。


外は寒い、情報がない、怖い。


ダンナさんは家の中で過ごそうといいましたが、ワタクシは車での中で過ごすことにしました。


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)


ガスの確認はしていなかったので、とりあえず外でお湯をわかして・・・


骨髄バンクランナーの物語(震災には負けません)-110311_2048~01.jpg


夕食は備蓄してあった、カップヌードルでした。

お湯?なぜかやかんのなかにお水が入っていたんだよね。


おいしくいただきました。


震災当日の夜、なめ夫婦は車内で過ごしました。


テレビは一晩中、震災のことばかり。


ほとんど眠れないまま、朝が来ました。



3月25日の山元町周辺のフォト。

http://f.hatena.ne.jp/namemix1978/2011.3.25/


こちらは3.11当日の写真です。

http://f.hatena.ne.jp/namemix1978/2011.3.11/

今日で東日本大震災から1年。


午前中は震災で亡くなった叔母と従妹の一周忌法要でした。


14時46分
ダンナさんと黙祷をしました。


被災地へ行けないみなさんへ。

もしよろしければ、東日本大震災の慰霊塔の画像をお持ち帰り下さい。



※骨髄バンクランナーの物語より抜粋。

今日は震災で亡くなった、従妹の誕生日です。
24歳になりました。


仕事はワタクシと同じ、介護のお仕事でした。


彼女の愛嬌と明るさは、高齢者に喜ばれていたことでしょう。




今日、実家には叔父と従弟一家がきていたんだって。


彼女の誕生日を祝ったようです。


そして思い出の品が飾られている展示会で、新たに写真が見つかったようで、取りに行ったそうです。


来週、忘れもしない3月11日です。




ゆきちゃん、お誕生日おめでとう。


空の上から見守っていてください。


Android携帯からの投稿