昔昔、ひとりの女が少し広めのお好み焼き屋で働いていました。

店長はジャンレノに憧れる気の弱い男でした。

 

そのお好み焼き屋の近くには、大きなパチンコ屋がありました。

たまに、そこの常連だと思われるヤクザ屋さんの集団が来ると、その店は大変でした。

注文したものが遅いと文句を言われることもあり、他にお客さんが入れなくなるのもあり、その時のバイト中はヒヤヒヤとピリピリが仕事仲間の中にいっぱいでした。

 

親分らしき人が話す時、ここは会議場かと思うくらい空気は張り詰めました。

こんなに真面目に尽くすなんてすごいって思いました。

私は不真面目なので、例えそれがヤクザかチンピラか暴力団関係なのか知らないけれど、その集団の上下に従って入っているだけで、ある意味すごく真面目だと思ってしまっていました。自分には絶対無理だと思っていました。

 

ある時も、その集団は昼から大酒を飲んでいました。

私が注文の品を持っていた時、フッとその中の一人の男に腕を掴まれました。

 

それで少し眺めた後、まじまじと、「、、、親分、こいつやっちまってるよ、」と、一番偉そうな人に言ったのです。

 

私はそれが自分の左腕に無数にある傷と、手首にある入れ墨のことだとわかっていました。

 

「やっちまっている」とは、どういう意味で、何故そのことをわざわざ親分さんに伝えたのか?

 

その場で黙って立っていると、男は私の腕を親分に向けて見せた。親分は私の腕を少し見て、

「これ(入れ墨)を消せるところがある、良かったら紹介しようか?」

と、静かな声で微笑みながら私に話しかけてきた。

 

その時の顔はいつも感じていたものと違い、まるでお地蔵さんのような落ち着きがあった。

 

私は混乱した。

あんなに恐くて人に対し威圧的に話す集団なのに、なんでこんな見ず知らずの手首ぼろぼろ女のことをかまってくれるんだろう。

多くの人が不快に思う入れ墨のことをおそらく心配して、生きにくいだろうと思ってくれたのか。そこには不良に対する、はみ出した私のような者に対する、あたたかさがあった。

 

私は戸惑った。

これまでこんなに恐くて威圧的で面倒くさい客は御免だと思ってきたし、その輪はあんまり自由でなさそうだったし、見ていて気持ちの良いものではなかった。でも何故か今、私の方を向いている。優しい顔で見つめてくる。

 

私は恥じた。

私はこういう人たちのことを、どこかで見下してきたのではないか。自分の性質に合わないことを理由に。怖かったのは確かだ。でも、居場所のない私の傷に気が付いて、優しく声をかけてくれるなんて。しかも、消すことができる紹介すると言ってくれるなんて。一言も今までまともに話したこともない自分のために。

 

私は気付いた。

この人たちは私と同じであるのだと。だからこそ、ただ注文の品をを持っていったわずかな時間で傷を見つけた。普通なら、うわあと思って避けて話さないことを、わざわざ話題にした。

何故か。それは彼らも私と同じ傷の経験があるからではないか。その解決方法があるから教えたい、そういう反応の気持ちがあったからなのではないか。もし、私に傷があるとわかっても、わざわざ指摘せずにひそひそ話すことだって、店を出てから「あの人さ」って話すこともできたのに。

 

私は思った。

これは、私が初めてじゃないんだなと。きっとかつても私のように傷ついた入れ墨のある人のそれを消してあげたことがあるのではないか。でないとあんな一言で、親分にこれを見せる意味がわからない。

 

私は感じた。

自分には誤解があったと。このとてつもなく反社会的と思われる輪の中に、人への優しさが全くないわけではないのだと。同じ傷ついた者のその傷の痛みを一番知る者として、そういう大人として、声をかけてくれたのだと。

 

一瞬、自分は戸惑っていたと思う。

その言葉に対して、うまく返事ができなかった。気がつかれたことでおどおどし、やんわりこのままで大丈夫です、ありがとうございますと言ったように記憶している。

 

注文の料理を一回届けただけの、あの時のことをずっと憶えている。

 

すごく長い時間、そこにいたように感じた。ほとんど会話していないのに、すごくたくさん話した気がした。

 

自分が思うより、そこは傷ついた者にとって世間とは違う優しい世界があるのかもしれないと思った。

 

だからこそ、惜しいとも思う。今は特に思う。

ほんの少しボタンをかけ違えてみれば、もっと世界が変わるに違いないと感じるからだ。

 

それはもしかしたら、お互いにそうなのかもしれない。

 

今、当たり前だと思っているボタンの位置をちょっと間違いさえすれば、そこに「新しい優しさ」を見つけることができるのかもしれない。

 

かなり勇気はいるけれど、結局その仲間にはならないのだけど、私には全然遠くなかったんだと思った。

姿勢が違うだけで、むしろ近いのかもしれないと思った。

 

そういう優しさで痛みを包み込むことも、きっとそれぞれの場所には、どこかには、必要であるのだと、そう思った。

 

何が正しいかなんてことは、私にはわからない。あの時わからなくなった。

 

でも、それでいいのだと思った。

 

 

若かった私の腕はその後ますます傷がついたけど、今は全く新たにはない。

 

思えばあの親分は、今の私より少し年上だったように思う。

 

 

左腕を見る度に、あの人たちのことを思い出すのだ。