自由な未来のつくり方、心軽やかに生きるヒント集。心と体ケア きららぼ

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『心と体ケア きららぼ』公式ブログ。認知科学に基づく気功ヒーリングやセルフケア、コーチングセッションを通じて、心の悩みや未来への不安を軽くするヒントをお届けします。心と体を整え、軽やかに生きるための情報を発信。ピンと来たらすぐに実践してみましょう。

「無関心」を装う人の心を、どう理解すればいいのかという話しですが---


「無関心」と「無関心を装う」ことは天と地ほどの差があるよなーと常々思っていまして、

もちろん言葉が違うので、当然定義も違うわけで、天と地とほどの差があるというよりは、月とスッポン、まるで違うわけです。

(---ずっと何を言っているのだろう、私は。)



「無関心」とは文字通りいわばアンテナが立っていない状態を指します。

じゃあ、無関心を装うとは?


完全にアンテナが立っています。

が、そのこと悟られないようにしようと偽装しているわけです。


 

「好き」と「嫌い」に例えてみるとわかりやすいかもです。


「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心。」だという一般論を採用し、さらに「嫌いよ嫌いよも好きのうち。」という一般論を採用して話すと、


無関心を装うとは、かなり高度なテクニックというか、かなり抽象度が高い行為ということに思えます。(ただし、自分に素直じゃない、駆け引きでの偽装、恥ずかしいなど超利己的なものは別の話です)


たとえば、「仲良くなりたいなぁ」と思う人に、積極的にアプローチをした方がいい場合と、そうしてはいけない場合があります。親切をありがたく感謝する人もいれば、脅威に思う人もいるーーーなどです。


人は自分が信じるものしか、「見ない」(見えない)、「聞かない」(聞こえない)、「行動しない」(行動できない)という性質があります。


親切を警戒する人は、束縛のはじまりを予感するからです。(もちろんそれだけではありません)


逆に、親切をありがたく思う人が、心底ありがたがっているかどうかもまた別の話です。恐ろしさ故に受け入れざるを得ないと思っているだけかもしれません。


と、ここらで収束させないとキリがありませんので、まとめますが、


人のためにせっせと親切にする人が利他的とは限りません。自分の何かを解決するために、つまり自分のために何かをやっていることだってあるわけです。

 

つまり、丁寧に意識に上げなければ、それは何も見えていないのと同じということです。


丁寧に意識に上げ、ちゃんと見るためにには、ゴールは不可欠ですし、抽象度を上げるためにインプットを増やしたり、メンターに引き上げてもらったり、

”しながら”

「丁寧に意識に上げること」という作業が不可欠です。



あえてぼやかして書いていますが、恋愛においてもしかりです。


・・・昔、ある生徒がいました。

彼女は、好きな人の前ほどそっけなくなる子でした。
話しかけても逃げ、笑顔を見せると目を逸らす---

でも、誰よりもその人を見ていました。

卒業式のあと、その相手が言ったのです。
「本当は俺のこと嫌いだったの?」
 

彼女は笑って答えました。
「大好きだったよ。…怖くて言えなかっただけ。」
 

無関心を装うことの裏には、いつも“恐れ”があった・・


誰しも思い当たるでしょうし、また、自分の内なる声が正確かどうかわからない以上、自分自身についての分析も怪しいと疑うべきでしょう。


「装い」には、「利己的な装い」と、「利他的な装い」というものがあり、表面的にはほぼ同じ行為、行動なので、本当にやっかいです。


私が気功やヒーリングが好きで、頼りにしているのは、言語に頼らず、もちろん有効な範囲においては言語はフルに活用はしますが、気功を使えば、このような「やっかい」をパスして、非言語による働きかけや、介入が容易だからです。



ヒーラーならば「技術伝授を受けてうえい!」でもいいのですが、できる限りの丁寧さ、誠意さ、真摯さはあった方がいいんじゃないかなぁと思っています。それではじめて観える世界があると思うからです。


あなたの中にも、
無関心を装ってしまう瞬間はありませんか?

その裏側には、きっと「本当は大切にしたい何か」があるはずです。