(´-`).。oO(徒然なるままに、若尾文子)

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若尾文子と熊木杏里と前田健太、その他もろもろについて呟くブログ

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「ゲーテ」という作家について、ヴァルター・ベンヤミンが
書いたエッセイが好きです。ベンヤミンには、もっと優れた
エッセイや論考があるのはわかります。しかし、そういう
学術的視点を離れて、純粋に彼が「書くこと」を楽しんだと
しか思えない、このエッセイの持つ、音楽のような独特の
軽やかさに惹かれます。

今やヨーロッパを代表する作家として知らない人はいない
ゲーテですが、彼の没後、ドイツがまず賛えた作家は
シラーだったという記述があります。

ベンヤミンはこう書いています。

「ゲーテには、自分が直接に及ぼす影響は、のちの時代に
おいて弱ってゆくだろうということが分かっていた。
そして事実、市民階級のなかに、ドイツに民主主義を
打ち立てようという希望が息を吹き返したとき、
この階級が頼りにしたのはシラーだった」と。

そして、それに続いて、このエッセイで、私が最も好きな、
次のフレーズへと続きます。

「彼(=ゲーテ)は教養ある人びとに、次のようなことを
教えた――ひとはどのようにして教養ある者たりうるか、
自由思想をもち、偏見にとらわれることなく、それでいて
なおかつ自分本位の人間でいることができるか、を。
人はどのようにしてあらゆる悪徳をもち、しかもその粗暴さを
免れうるか、あらゆる弱さを持ち、しかもその愚かしさを
免れうるか、を。人はどのようにして個々の汚れから精神を
清いままに保つか、どのようにして正しい立ち居振る舞い
でもって罪を犯すか、どのようにしてありとらゆる下劣な
素材を美しい芸術形式によって醇化するか、を。そして、
彼は教養ある人びとにこうしたことを教えてやったからこそ、
教養ある人びとは彼を崇拝するのだ。」


これは実際は、ベンヤミンの言葉ではなく、ベルネという19世紀
初頭の批評家の言葉なのですが、ゲーテが「闘っていたもの」が
わかる優れた分析だと思います。

大義のために生きることの前にはいつも困難が立ちはだかります。
正しさを信じ、純朴にに生きる人たちが成功するとは決して限らず、
狡猾に生きる人たちが栄えてしまうという「理不尽」が世界には
満ちています。こうした世界で人びとはどう生きて行くべきかを
徹底して考えぬいたのがゲーテです。

私たちの前にある「世界」を私たちは受けいれることしか
できないのでしょうか? 即答は避けますが、少なくとも、
ゲーテを読むことはゲーテを読む「人」をも「変える体験」であり、
その「体験」を経た人たちにとって「世界」は違う姿を表わすはずです。

ゲーテ