そう。あの頃コロナが最盛期。
日本人が外国から帰国する日本人をよく思わず、警戒される中、私は、2021年1月7日に成田に降り立った。
私は、日本人の夫と息子と海外で暮らしていた。
住み始めて、数年は、ハプニングや文化の違いなどを楽しみながら必死に生きていた。
でも、5年を過ぎたあたりから、私はいつも日本に帰りたかった。
生活に慣れてきても、言葉を覚えて友人ができても、いつも日本に帰りたかった。
コロナ渦の外国で、外に出られず、アジア人差別も起こり、家にこもっている中、
仕事の契約も終わってしまった。
私の力のやり場がなくなったことで、その矛先は料理に向けられ、どんどんすごい料理が出来上がる毎日に、家族も疲れ、
私は、自由になりたくて爆発寸前だったように思う。
夫と息子を説得し、自分で生計を立てられることを条件に、単身帰国を許してもらった。
あの時の彼らの悲しみ苦しみを推し量ると今でも心が痛い。
ちょうど免許の更新の時期がやってきたことで、
それを対外的な盾として、私は、家族を置いて家を出ることにした。
「手に入れたいならば、まずは手放す。」そんな言葉をよく聞くが、
私がこの後、手にた現実のすごさを知れば、この時の自分の勇気に賞賛を与えたいと思う。
同じように、日本に戻りたいと悩む人は多いのではないかと思う。
自分にはそんな力はないと、ひたすら我慢を続けている人。
私のブログが、そんな人たちの動くきっかけになればと思い、私は、思い返しながらこのミラクルばかりだった毎日、その時の思考法など書きつづっていきたいと思っている。