2011年3月11日 東日本大震災を経験して② |
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続きです。


お店の前に戻ると、

お店は鍵をかけて、避難した方が良いだろうという話になっていました。

オーナー、スタッフ、
どこに避難しようか、山側がいいか、

この辺りの避難場所は、

あの大きな公園だけど。少し遠い。

小学校もあるが。


いざとなると、

漠然とした避難場所しか思い浮かばず、

避難場所へ行くと行っても、
主人とどう落ちあえばいいのか。

連絡もつかない中、

どうしたらいいか、

焦りがつのりました。


みんなは車で行き先が決まり、

近所に住むのは私だけで、

心細いけど、別行動…と思っていたら、

自宅方向に、煙が見えました。


えっ、まさかうちのマンションじゃないよね、

燃えてないよね、

でも、どこからあの煙出てる?


お店から自宅マンションは数百メートル。

まさかとは思うけど、

あの煙が出てないかも確認したい。


あの煙は   びくっ  ドキッ  ゾワッ 早く安心したかった。




そこに、同じマンションの友達からの電話。どうしてる?自宅で落ち合おうと。


帰っても一人じゃない。

帰宅の選択は間違っていない。避難せず自宅待機にしよう。

この安心感たるや。

一本の電話がつながった

かけてくれた。この感謝。


よしっ、帰ろう。

私は、帰宅の道を選びました。





自宅へ着くと、


煙は、もっと向こう側から出ている事がわかりました。


とりあえずうちじゃない。


後からわかりましたが、

市原石油コンビナートの大火災でした。


真っ黒い煙がモウモウと、

すごいボリュームで立ち上がる煙に、

近所の火事かと思うほどでした。

あんなに近くに見えるとは。



工場火災とわかるまでは、

住宅火災かと思っていたので、


うちも燃えるかも知れない、

火事を起こしてはいけない。

と、気を引き締め火の元を気にしました。



階段で上階へ……

エレベーターは止まっていました。


ベイエリアなので、津波が怖い。


津波が心配なうちは7階の我が家、

強い地震が心配なときは3階の友人宅と助け合おうと話しました。

笑い事みたいですが……

本気です。


助け合える友達に心から感謝しました。



まだ電気は大丈夫、ガスは止まった。


でも、いづれ電気も止まり、冷蔵庫も使えなくなるだろう、と、

冷蔵庫にある生もので料理をしました。


炊いたご飯あるだけ、野菜、卵を入れてホットプレートでチャーハンにし、

味付けをした豚肉をトッピングするという……

お互いの子供達も多く、
腹が減っては戦が出来ぬ、

不安がっててもしょうがないと、

ホットプレートを囲んでありったけを火を通すという、

なんだか楽しい、
子供達にとってはパーティー気分な、

呑気な時間を過ごした……


この心の余裕がまだあるから大丈夫、

仲間がいるから大丈夫、

家が無事だから大丈夫、


でもいつ電気も切れるかわからないから、早く料理して、

片付けて、

次のご飯をお釜いっぱいに炊いて、


洗ったバスタブにお湯をはって、

(昔、台風で良く停電になっていたので、思い出しながらまずは生活用水を)


あ、ガスの復旧は自分で出来るという情報があったのでネットで調べてもらい、


ガスメーターのところ開けて、
復旧作業して、



主人は、会社の女性達をそれぞれ自宅まで送って帰るから夕方過ぎると連絡もつき…


友人のご主人は帰宅が困難なので今夜は一緒に過ごそうかと話し……

(私は忘れていましたが、最近地震が多いのであの時こんな事あったねと、主人が思い出し話していました。)


いつでも避難出来るように、

親子それぞれ衣類や、貴重品、
役に立ちそうなものをカバンに詰め、
玄関先に置き……


あとは記憶にありませんが、

とにかく忙しい一日でした。