2011年3月11日 東日本大震災を経験して①
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地震が起きた14時46分、
私は、近所のネパールレストランで働いていました。
ランチタイムは15時まで、
お客さんも皆さん帰ったところでした。
グラグラグラッと強く激しい揺れ、
ビュッフェのカレーが、
波打って床にこぼれました。
地震だ、、
まずはビュッフェを温めているキャンドルを消さなきゃと、
キャンドルの火を消し、
外へ運びました。
外は石畳なので、
消火を確認し、
一旦そこに置いて、
店内へ戻りました。
サリーを着るための鏡があったので、
大きな姿見2つを倒して、
店外へ出ました。
再び襲う、強い揺れに、
路地の車は横転しそうなほどタイヤを浮かして、
ユッサユッサと左右に揺れました。
『死ぬ〜〜!』
と言っているご婦人がいました。
その時私は、
そんな大げさなと思いましたが、
後から大惨事だったと知るのです。
マンションに住む人達は、
『津波の映像見てたら、いてもたってもいられなくて、
部屋に一人でいれなくて、おりてきちゃったの。』
と、一階のお店の前に集まりはじめました。
えっ、津波?
ニュースも見ていないので、
なんのことだろうと思いました。
近く一帯は、無電柱化で、
電柱など倒壊の危険性がないので、
みんな安心して地上に出て、
落下物のないところに、
身を置きました。
主人に電話…つながらない。
保育園に電話…つながらない。
家族バラバラでした。
やばい。と思いました。
どうしたらいい………
まずは息子を迎えに行こう
その場を離れるのは怖かった。
でも、
自転車で、近くの保育園へ
全速力で、
必死で必死で、
割れた歩道から液状化でわずかに溢れた水溜まりをバシャッと越えながら、
迎えに行きました。
祈るような気持ちでした。
保育園では、息子達と先生が、
園庭に避難していました。
必死に抱きしめ、帰ろうとすると、
また強い、さっきよりか同じ位の強い揺れが襲いました。
吹っ飛ぶように自転車が倒れて、
ヘルメットが割れてしまいました。
自転車のスタンドも曲がっていたのに後から気づきました。
足どめ。
どうしよう、
動きたい、
でも揺れがまた来るかも、
動けない、
怖い。
色々な事がよぎりましたが、ずっとここにいても進まない、と、帰る事にしました。
行動ひとつひとつ、
決断ひとつひとつに
勇気が必要でした。
息子の靴は取り違えられていましたが、
その日は気づきませんでした。
素早く避難させてもらったのです。
そして、
息子を迎えに行って来ますと言い残した、
お店の前へ戻りました。
続く……