知り合いから「東京でホーロー看板のある場所、知りませんかね~?」と聞かれる。


 都電沿線は9000形導入当初、昭和レトロを推進するべく三ノ輪橋の電停をリニューアルさせている。

 その電停には「琺瑯看板」が設置されている。

 そう教えて電話を切り、手持ちの画像を探してみた。


 琺瑯看板は確かに昭和の一風景を演出する道具として必須である。

 幼少の頃、近所の駄菓子屋に足を運ぶと「たばこ」やら「塩」と書かれた琺瑯看板が軒先に掲げられていた。


 こうした風景は徐々に喪失していった。

 それは時代が変わったということなのだろうが、24時間とまではいかなくても営業時間が長時間化する傾向にあった小売店が、夜でも見えるようにするという意図から「電飾看板」や「電灯看板」を店先に掲げるようになったからだ。


 こうして、琺瑯看板は姿を消していく。


都電ひとつばなし-琺瑯看板


 しかし、鉄道マニアの世界では意外と琺瑯は知られた存在である。

 「ほうろう」という言葉はもはや死滅し、「鉄を釉薬で塗り、加工したもの」という注釈を入れずとも鉄道マニアは、琺瑯を理解している。


 なぜなら、国鉄型車両にはいまだに琺瑯製の行き先表示板(通称:サボ)が健在で、ローカル私鉄でも琺瑯サボが活躍している。LEDなどといった最新技術を拒むかのように、そしてマニアたちも琺瑯サボに目を細める。


 都電・三ノ輪橋電停の昭和レトロ化計画は、こうした電停に琺瑯看板を掲出す以外にも電停を木造化するなどの工夫が見られる。しかし、駅名標はプラスチック板で電気が灯せるようになっているようで、琺瑯にはなっていない。


 三ノ輪橋以外では、おばあちゃんの原宿といわれる庚申塚が昭和レトロを再現した電停となっている。

 すべての電停を昭和レトロ化する必要はないだろうが、そのほかの電停が昭和レトロ化の工事を進めている様子はない。


 三ノ輪橋・庚申塚が推進する昭和レトロ化は、その後、どこまで本格化するだろうか?

 小手先だけの演出では、税金の無駄遣いと指弾されかねない。

 そうした意味でも、沿線に長く住む人たちや都電の昔の写真を参考にする必要も出てくるだろう。

 

 ちなみに、亀の子束子はいまや一般名詞になっているが、庚申塚電停から徒歩5分ほど歩いた場所に、亀の子束子を発明し、いまでも製造販売している会社がある。

 三ノ輪橋電停に、こうした沿線の名所ならぬ名店の看板を掲出したのは故意だったのかはたまた偶然だったのか?


 どちらにしろ、荒川区の三ノ輪橋に北区の名店が紹介されることは、行政区を超えた都電の結びつきがもたらした相乗効果といえるのかもしれない。