9000形デビューを祝して、5月26日から5月末までの短い期間に花電車が3台運行されていた。
そうしたひとつひとつの積み重ねが、都電を都電たる特別な存在にしていくのだが、昨今、花電車が運行されることはなかった。
花電車が運行されないのは、なにも都電ばかりではない。
全国各地を走る路面電車で、花電車が運行されているのは函館市電、豊橋鉄道、鹿児島市電と数少なく、運行している事業者でも登場する回数は年々減っている。
かつて花電車の運行は市民にとってビッグイベントだった。
めでたい祝事があると、華やかな花電車が町のいたるところを走った。沿線の人々は花電車を眺め、市民がひとつのイベントを共有していく。
都電を懐かしむ人々にとって、花電車はひとつのエポックメイキングでもあり、人生の節目でもあり、一体性を保つアイデンティティでもあった。。
花電車が運行されなくなった背景には、経営難による資金不足やイベント性の低下などがあるだろう。しかし、もっとも大きな原因は花電車が持っていた、市民の一体性が薄らいでいることが根底に流れているといえよう。
久方ぶりに登場した花電車ではあるが、昔の電車と比べると明らかにチープであることは否めない。
車体の花飾りはシールへと変わり、経費も削減されている。
花電車の運行のためにスポンサーをつければ、華やかなりし頃の花電車は運行できるかもしれない。
しかし、花電車が放っていた輝かしい時代性、市民の高揚感と一体感を再び醸成させることは難しい。
路面電車は新しい公共交通として注目を浴びている。
その一方で、路面電車が内包していた数々の事象は明らかに崩れつつある。
そこには、交通機関が従来から持っていた公共性よりも、市場性、いわば経営が黒字であるか赤字であるかが重視されるようになったことが挙げられる。
そういった意味では、短い期間であっても、昔に比べてチープになったとしても、花電車が復活したことは都電の歴史の中でも特筆すべき出来事だった。
それでも、花電車は走る。