都電のメンテナンスを行う場所は、荒川車庫内にある工場である。
ところが、都電がまだ都内にたくさん走っていた頃、荒川車庫内ではなく、今の芝浦付近に都電のメンテナンス工場があった。
ベテランの都電職員さんなどから話を聞くと、この工場のことを仔細に聞くことができる。
当時、まだ都電はツーマン運転。メンテナンスで工場に行くときは、王子駅前から本郷通りを通って芝浦まで走るルートが一般的だったらしい。本郷三丁目の交差点付近には、まだ操車塔があって、ポイントの切り替え作業もされていた。
メンテナンスを終えた都電は、同じルートをたどって荒川車庫まで戻ってくるのだが、せっかく電車を走らせているのだから、客を乗せて戻って来ること、要するに営業車として走行するように上司から言われていたのだという。昔の都電は、案外商売上手である。
今日の一葉は、工場への引込み線として残っていた線路。都電遺跡としては、最近まで残されていたのだが、残念ながら撤去されてしまった。この画像は、以前に『日本全国路面電車の旅』の取材でお会いした函館市の田澤元さんから自由にご使用くださいといただいた写真である。この場を借りて、お礼申し上げたい。