都電荒川線の古参職員に話を聞きに行くと、まだ東京中に都電が走っていた頃の話を聞くことがある。  都電を修理に出すため、芝浦にあった検車場まで回送する。今ではもう見られないそんな光景を、たんたんと古参職員たちが話すのだ。  そのとき、操車塔の話が出る。  操車塔とは、都電の軌道が交差している場所に立ち、都電が走ってくるのを見ると、「あの電車はあっち」「この電車はこっち」と軌道のポイント切り替えをする仕事塔。一路線しかなく、ポイント切り替えが必要ない都電には、操車塔はもちろん存在しない。まだ、たくさんの路線が東京中をくまなく走っていた頃の話だ。  古参職員の話を聞いていると、どうやら本郷の交差点に操車塔があったという。  これは、あくまで私の推測でしかないが、本郷通りと春日通りが交差する地点に操車塔はあったのではないか……。ほかにも、文献などを参考にすると神田須田町の交差点にもあったようだ。実際、写真などにも都電の操車塔は残っていないから、あくまで昔の人の記憶を頼りにするしかない。  こうしたポイント切り替えの操車塔は、多路線が走る他都市でも稼動していない。現在、ポイント切り替えは、自動で行われているのだ。  それでも、歴史遺産的に操車塔が、函館市・広島市・鹿児島市に現存している。  今日の一葉は、鹿児島市の高見馬場にある操車塔だが、これも現在は自動化され、歴史遺産として昔を称えるだけである。   操車塔