恩寵(おんちょう)=《神さまの恵み》の

話を もう少し続けたいと思います。




私は数年前

脳出血になって、

身体が不自由になりました。




それまで普通に流れていた日常が

急にブツンと

中断されてしまいました。

何もかもが中途半端のまま、途切れました。





でも、今思えば

この神さまの強制終了は

とても大きな愛で

私を引き止めてくれたのだと思います。




もうこれ以上 進まないで、


そこで一旦止まりなさい。


少し休みなさい。 と言われたのだと思います。





もちろん、すぐにこう思えた訳ではありません。



病気をしてから、

様々な不思議な体験をさせられ、

精神性を高めたいと色々学び始めました。




そうした上で、

起きる出来事は

私の学びの為のものであり、

私の成長の為なのだと思えるようになりました。


そして、それが神さまからの恵みなのだと。



神さまからのプレゼントは

嬉しい、楽しいものだけでなく

少々痛いものもあるのだと

気づかされました。




よく言われることですが、

ゲーム等でも

強い敵や障害物がなければ

面白くもなく、

ドキドキもしない

つまらないものになってしまうように

何もない平坦な道を歩く人生では、

大きく進化成長することは

出来ないと思います。




私達は大きく成長する為のチャンスを

与えてもらったのだと思います。



ラッキーとまでは思えなくても

この大きな困難を乗り越えられると

神さまに認めてもらっていると

勇気を出して欲しいです。





私は

脳出血になる前、

自分の内側を見つめる目を忘れていました。

仏教等で" 内観" と言われるものです。



自分の内側を見つめる目を持たなければ

大切な判断も誤ってしまいます。




例えば、

私は麻痺を治す治療に

一般的でない自費の治療を選択しました。


周りの他の人から

「大丈夫なのか?」「変わっている。」等と

色々な意見を聞かされました。



私まで周りの意見に左右されて

このような目で見ていれば、

例え 病気が治っても

例え 奇跡が起こったとしても

心から信じるにはならないと思います。



治してくれたから〜。 こうだから〜。と

その人を条件付けで信用するのではなく、

自分の内側をしっかりと見つめ、

 "その人を信じる自分を信じる" 

ことが大切なのです。


その上で初めて

その人をしっかり信じ切れる、

信じ抜くことが出来ます。



優れた治療者の方が、

身体にスイッチを入れてくれても

自分自身を見つめて、信じていなければ、

点火のスピードは遅くなると思うのです。




治療には

痛みが出ることもあれば、

思わぬ反動が出ることもあります。


その時すぐには、一瞬あわてますが、

冷静に判断する内側の目が必要です。




自分と向き合うには

とても大きなエネルギーと忍耐がいります。


内観していくと

自分の足りない所に気づいて

その時に、

痛い思いも、嫌な思いもするかもしれません。



でも、

神さまに何故止められたのか‥、

何に気づかなければならなかったのか‥。

外側で何かを探して、

誰かの、何かのせいにするのではなく、

自分の内側を見つめてみると、

神さまの愛(恩寵)が何なのかが

少しずつ見えてくると思います。



過去世のカルマ(魂の宿題)やトラウマ、

今世に積み上げてきた課題等、

様々な影響で、

それぞれの学びは

1人1人まったく違うものだと思います。



ただ、学ぶべき時にきちんと学べば、

人生の学びの深さはますます深まり、

魂はもっともっと輝き出すはずです。




でも、これをしていくのも

眉間にシワをよせて

ガチガチに頑張るのではなく、

自分を愛して、

楽に、

フラット(平安、中庸)な心で

楽しみながらが大切だと思います。




長くなってしまいました。

続きは次回書きます。




本日も、

お読みいただきありがとうございます。