専業主婦卒業シリーズはおやすみ。


年々、いや、日に日にお節介度が上がっている自分に気づく。


でも、『お節介』って自分がお節介だと思っても相手にとっては優しさや助けだったり。

逆に、自分にとって優しさや手助けのつもりが、相手にとっては『お節介』だったり。


同じ行為でも、

その時、その状況、その相手によって違ってくる。


もしかしたらお節介かも。

余計なお世話かも。

そう思って、行動を起こすことを躊躇してしまうこともよくありました。

今もありますが!


それでも、最近は後悔しないように思い切って動くようにしています。

あの時、声をかけていたら…ってあとから思うのもイヤだし。


商業施設のガチャガチャのお店で、

ちっさい子が高い場所のガチャガチャにお金をうまく入れられず何度も小銭を落としていました。

周りにたくさん大人がいるのに(てか、おうちの人!どこよ?!)、誰も手を差し伸べない。


もしかしたら、

ひとりでガチャガチャをやる(はじめてのおつかい的な)チャレンジかしら?と周りを見渡すも、見守る保護者らしき人も見当たらず。

何度も小銭を落とし過ぎてイヤになっちゃったのか、落とした小銭を拾うのもやめてしまった子。

落として転がって、別のガチャガチャの下に入り込んでしまった100円を拾い、その子に渡しながら「なかなか届かないよね。お金入れてあげようか?」と声をかけると、その子はコクンと頷きました。


結果、その子は欲しかったガチャガチャを手に入れられて嬉しそうに去っていったわけですが、これはお節介ではなく優しさだ!(見かねた優しさだ!)と私は思うわけです。

でももしかしたら、はじめてのおつかい的なことをやらせたかった保護者からしたら、お節介なのかもね。

私は自己満足に浸りました口笛



お節介って何だろ。

友達の体調悪いときに駆けつけるとか。

道に迷ってそうなひとに声かけるとか。


私、こういうことしながら自己満足に浸ってる。

偽善者だと思うこともある。


人のためにって思って行動しながらも、

その後の自己満足が欲しいだけなのかもしれない。

いい人だって思われたいだけなのかもしれない。

でもそれっていけないことなのかなぁ。



徳を積む。


私はそれでいいと思うのです。

私もこれまでたくさんのひとに、たくさんのことを助けていただいている。

そのありがたさを、また別の誰かにお返ししているだけなのです。

お返ししながら徳を積んでいく。

そしたらいつか、私の子供たちや周りの大切な人たちが困ったときに、また違う誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。


誰かの助けになれば

私は自己満足に浸ることができ、

徳を積むことで

また別の誰かが助けられる。


なんて素敵なサイクルなんだ!!!


自己満足も偽善者もお節介も、

悪いものじゃない。


しかしながら、

ほんと誰でもかれでも声をかけるお節介オバさんを発揮しすぎると、懐かしきオバタリアンに近づいていってしまいそうな気もするウインク


なんでも適度に。適度に精一杯お節介しよう。


急に寒くなって、KALDIでふと見つけたグリューワイン。

温まりたくて買ってみた。

スパイスの香り。

甘いワイン。

意外と好き。

ちょっぴり酔いながらのお節介トークでした。

(何時から飲んでんだ?!)