記事に番号を付けなかったのは、面倒くさいからです。眠くて仕方ないのだけれど、どうしても書きたくて。後で付け足しておきます。…それにしても、たくさん記事を書いているなぁ、私。最近はブログにめったに来なくなってけれど、それはある意味充実している証拠かもしれません。本当に充実しているかどうかは誰にもわからないけれど。。。


さて、センター試験。


持ち物のチェックは皆さんされたでしょうし、

●当日は温かく脱ぎ着しやすい服を着ていく

●トイレの場所は確認しておく

●受験番号は何度も確認

●試験が終わったらその科目については忘れる。うまくいっても、いかなくても…

●休み時間は甘いものをとるのがおススメ

などの基本的な注意事項も何度も予備校および学校で繰り返し聞いていることと思います。



今日、どうして記事を書こうかと思ったかと言うと…まぁ、いいや。…理由はどうでも良いんです。とりあえず、思っていること、と言うか書きたいことを好きに書かせていただきます。いつものように…。

色々書きますが、受験生の皆さんの健闘を祈っています。ファイト!!




直前期に不安を訴える受験生は多い。これは、その人の性格によるものとその人のたどってきた道によるものの二つに分けることができる。性格によるものは、仕方ない。試験を前にすると緊張してしまい、頭が真っ白になってしまう…と言う病気もあるようだし。。どこかの英文で読んだ。適切なカウンセリングによって直していくのが良いという。…というのはどうでも良くて、私が書きたいのは、後者について。


未来って、何だろう?


私は、「今」の積み重ねによるものだと考える。起点を過去におけば、今も未来になりうるし、今を起点とすれば未来が「未来」になる。


私は、現役時代、合格するのに十分な勉強をしていなかった。その事実からは目をそらしていたが、試験前に感じていた不安が全てを物語っていた。落ちる可能性が高いことも認めたくなかったが、分かっていた。…怖かった。今まで、人生を決める勝負で負けたことはなったから。そういう失敗をしたことはなかったから。失敗したらどうなるのだろう…考えるだけで怖かった。けれど、過去はごまかせない。他人の目はごまかせても、自分はごまかせない。「Miaちゃんは良い点とるんだろうね」と言われて必死に笑顔を作った自分。あぁ、懐かしい。


未来という言葉には、明るい響きがある。人間が勝手に「ミ・ラ・イ」と言う音節のつながりにそういうものを見出しているのだろうけれど。


今日、友人が「未来って自分の頭の中に描いたものだよね」と言っていた。…違う、と思った。まぁ、私の考えが正しいかどうかって言うのも分からないけれど、少なくとも私はそうは思わない。いくら頭の中に未来を描いたって、望んだ未来はこちらには来てくれない。積み重ねが磁石のように未来を呼び寄せるのだ。未来だって、人を選ぶ権利がある。100円しか持っていない人は、1000円のものは変えない。けれど、1000円持っていたら、1000円の未来を買う事ができる。


1000円のものが必要なら、5000円は持っておくこと。そうすれば、きっとうまくいく。少なくとも、試験では。



積み重ねてきた者は、その重荷をいて試験を受けることができる。一方、積み重ねのない者は、どこから来たのかわからない透明の重荷を背負って試験を受けなくてはならない。後者はどうやってその重荷と付き合うか。これが大きな問題だ。私は、全てを受け入れて走るしかないと考える。無我夢中で。重荷を感じている暇があるならば、目の前のことに没頭すればよい。荷が重すぎて腰が砕けても、気づかないほど集中すればよいのだ。無我夢中。私は現役時代、それで過去最高点を取ることができた。


現役生は、知らぬ者特有の強みがある。浪人生は持たざる者特有の強みがある。重荷を背負っている者は、それをバネにすれば良い。背負っている者特有の重みが出るのだから。積み重ねてきた者は、自分で勝手にどこからか重荷を持ってきて背負わなければ…積み重ねてきた者特有の強みを持って戦う事が出来る。


現実は人によっては過酷なものだ。受け入れる余裕があろうとなかろうと、受け入れなければならないものを目の前に置いてゆくのだから。


失敗から学ぶことは何もない。ただ、強くなることはできるかもしれない。そして。成功から学べる事はたくさんある。一度の成功は百度の失敗に勝る。


私が大学生になって学んだこと。

最近つくづく思うのだ。不幸な人が不幸な原因。

環境ってみなさん、思われるでしょう。それが原因の時もある。けれど…世の中の大半の自称「不幸」な人って、その人の中に「不幸」になる要素があるから不 幸になっているのだ。不幸な環境が人を作ると同時に、不幸になる要素が内側にある人が不幸を呼び寄せているの。大体、本人と環境比が4:6~6:4くらい で不幸な人が誕生するんだなあと私は思っている。

宝くじで大当たりすると人生狂う、というのと似ている。不幸な人に良い環境を与えても、その人は幸せにはなれない。その人の中にある不幸を呼び寄せる要 素、とくに考え方を変えることで幸せって近づいてくるんですよねぇ。。。まず考え方を変えることに重きを置き、同時に環境を変える…こんな姿勢が必要なの だよね。

不幸な人は不幸な考え方をしているし、裕福な人は裕福な考え方をしている。頭の悪い人はそもそも頭が悪くなるような考え方をしている。

環境が人を作り、人が環境を呼び寄せる…う~ん。。。人生ってオモシロイ!!!!!
目標を持つのは大切なことだと人は言う。私もそれに賛成だ。ただ、一点、注意しなければならないと思っていることがある。それは、目標の持ち方。

絵に描いた餅、という言葉がある。人は、食べたい餅を絵に描くわけです、作る前に。世の中では高い目標が良いといわれている。だから、人は大きな餅を絵に描く。で、たくさん失敗する。絵にかいた餅は所詮絵に描いたものでしかないのだ。

私にもそういう時期があった。はっきり言えば、浪人する前。つまり、現役時代でございますね。それはそれは大きな餅を絵に描いて…そして、気が付いたら自分が一番「絵にかいた餅から遠い人物」になっていた(笑)。餅は小さくてよい…それを学んだのは浪人時代。小さい餅を書いて作って食べる…それを繰り返してゆくのが大切だとわかった。小さな餅でも作れたもの勝ち。コンスタントに餅を作れるようになったら、描く餅を大きくしてゆく…そうして、気が付いたらとてつもなく大きな餅を作れる人間になっていたOr自分が作りたかった餅が作れるようになるのだ。

大きい餅から小さい餅を描くのは勇気がいる…と人は言う。…とんでもない。小さい餅大好きな私から言わせれば「勇気」なんて言っているうちは、小さい餅すら作れるようにはなれない。

小さい餅を描くのに必要な力は二つある。一つ目は、現実を受け止めること。弱い自分、できない自分、惨めな自分…現実から目をそらさず、自分を擁護しない。ありのままに「ハイ、そうですか」。これが大切です。「あなた、偏差値45だよ。」「ハイ」「あなたの子よりAさんの家の子のほうができるよ」「ハイ」…こういう姿勢です。世間ではモノは疑ってかかることが大切だとか言われていますが、現実は例外です。もちろん、疑うことが必要なケースもありますけれどね。

二つ目は、欲をコントロールする力。親の期待が大きすぎてつぶれる子、目標が高すぎて自爆する子は欲の持ち方が悪いんです。あ、前者に関しては親の欲の持ち方が悪いんですよ。欲って、人にエネルギーを与える。けれど、時にそのエネルギーが人間にとって外のあるものになったりする。エネルギーが流れる回路ができていないときとかさ。「どうしても東大に合格したい」…と思っても、今の時期偏差値45では無理なのだ。大きな餅を描き続ける人間は、結局偏差値45のところに落ち着く。素直に現実を認め、欲を制御し(正確にいえば「欲」ではなく「無欲」という欲を持ち)小さな餅を描く。そうすれば、Bestの結果が出るでしょう。東大に入れるかどうかは分からないけれどね。