こんにちは toco です。
tocoの母は若いころから
洋裁をしていました。
田舎ではあるものの
その腕を認められ
全国的に知られている所でいうと
バラの包装紙の「高島屋」の
ブランドの服も手掛けていました。
父が昭和の男って感じで
女は家を守る者!という考えで
外に働きに出る事を認めなかったので
母の仕事場は
常に家でした。
子供の頃
家に帰ると必ず居る母が当たり前で
中学生くらいになると
うっとうしくも思っていました。
だけど
当然、寂しかった記憶はありません。
そして家の事は
すべて母がしていて
食事も完璧![]()
それでも文句を言っていた思春期。
友達を連れてきては
食事を出してくれて
今でも当時の友達は
母の料理を食べたいと言ってくれます。
車に乗れない母は
何処に行くにも歩きか自転車かバス。
tocoを含め、子供たちが大人になって
車を持っているのに
遠慮して、歩いたりバスを使います。
ただただ自己犠牲としか見えなかった母。
tocoはあんな風に男に仕え
自分を犠牲にして生きたくないって
思っていました。
年をとっても
父のグチ
兄家族のグチ![]()
母に「自分は幸せだ」って言って欲しいって
怒ったことがあります。
誰かのグチを言うより
楽しかったことを話して聞かせて欲しい!と。
母は
「昔の人間で長い間の癖はなかなか変わらないよ」
と言っていました。
それでも変わってほしくて
「自分の好きな事だけしたらいいんだよ」
って言ってきましたが
結局・・・自分が家族のために動いている事が
母の望みだったんじゃないかと思います。
子供の頃から
農家に育ち、中学を出てから
家の農業を手伝いながら
若くして病気になった父親(tocoの祖父)を
介護し看取り
お兄さんの子供たちを育て・・・
自分で何かしたい
となかば家出のようにして
洋裁の学校に行ったのです。
その後、父と結婚して
洋裁は続けていたものの
若いころから横暴な父について
本当によく耐えていたと思います。
年をとっても
自分のお姉さんを介護し看取ったり
他の兄弟の面倒もみていたり・・・![]()
優しさの塊なので
みんなが頼って来るんでしょう。
そんな母に変化が起こり始めたのは
数年前から・・・
83歳になる母ですから
少しくらいは
ボケボケしていても
物忘れがあっても
年相応という程度でした。
それがこの半年くらいで
それも
年相応だけでは済まない様子![]()
父の病気も笑って過ごしてきた
家族ですが
母がしっかりしていてくれたから
やってこれた部分がとても大きいのです。
一緒に住んでいないtocoは
兄夫婦にアドバイスしたり
様子を見に行くしかないのですが・・・
今日、どうしても
早急に直したいドレスの裾。
自分で出来なくもないかもしれないと
思いながら
母に思い切って頼むことにしました。
長くミシンも使ってないし
(もちろん足踏みミシンです)
もしかしたらガタガタになるかもしれない。
それでも優しい母だから
「仕方ないな」ってやってくれるか
「プロとしていい加減な仕事は出来ん」って
言うかな・・・![]()
そう思いながら
頼んでみると
「そんなに急ぐの?」
じゃあ、やってあげるわ」
気楽に返事してるけど
大丈夫かなあ![]()
不安はよぎりながらも
お任せしました。
出来ると言っていた時間に行くと
出来ていなかったけど
ミシンが使ってなくて動きが悪いのよ
と
またもやミシンのグチ![]()
それでも
忘れていない
忘れられない自分の仕事。
以前のような
プロの腕前とはいきませんでしたが
tocoは大喜びして
「やっぱり頼んで良かった~」って
言ったら
「手間かけてごめんよ」
「ミシンが良いともっと早く出来たのに」
そう言って笑っていました![]()
そっか・・・
グチを言ったり
何かのせいにしては
自分自身の幸せに気付けないって
思っていましたが
母を見ていると
それでも幸せな人もいるんだなって
思いました。
父と結婚してからも
食うに困った事もなく
世界を10ヵ国以上まわり
歩いていたから足も強い![]()
そんな幸せもあってもいいんだなって
思いました。
幸せの定義は人それぞれで
時代にもよりますが
母には別の生き方ではなく
この生き方を生きているんだなって
改めて思いました。
今のところ、治療はしていません
主治医とも相談していますが
tocoは薬の効果のほどや
その後の様子も想像がつくので
先生も薬を勧めませんでした。
これからは
注意が必要なことが出てくるでしょうけど
母らしく生きいけるように
見守りながら
出来うることをしていきたいと思っています![]()
家族の、特に親のこととなると
長い話となってしまいましたが
最後まで読んで頂きありがとうございます![]()
