私のママが離婚して、
ママが成人を迎えてまもなく、ママの母親は亡くなりました。47歳でした。
私が、3才になったばかりのころです。
ママの父親は、私が産まれる前にすでに他界しているので、私は全く知りません。
話が少々ややこしくなりますが、
私の家計は私が早くに産まれたため、親族皆、年齢が若く、
私は、母のことを「ママ」
47歳で亡くなったおばあちゃんのことを「お母さん」
先月、95歳で亡くなったひぃおばあちゃんのことを「おばあちゃん」
ママの兄、伯父のことを「おにい」
ママの姉、伯母のことを「おねぇ」
というように、ひとつ呼び名を繰り下げて呼んでいました。
なので、話がややこしくなりますが、以下からは上記の呼び名で記します。(ノ_-。)
お母さんの死因は”医療ミス”だったそうです。
子宮がんを患っていたお母さんは、1度は全部摘出し、退院したそうです。
ですが、当時は子宮がんがとても珍しい病気だったと聞いています。
退院後、入院していた都内のI大学病院から、
「再発防止の抗生物質を投与しときませんか?」
と連絡があり、お母さんは頑なに再入院を拒否し続けました。
しかし、がんというもの、いつ再発するかわからないし、今後のために受けといたら・・・??
と、家族の勧めもあってしぶしぶ再入院。
退院してから1週間後の出来事でした。
抗生物質投与から3日後。
病院から「昏睡状態の危篤の電話」。
明らかにおかしすぎます。 お母さんは抗生物質が効くかどうかの実験台にされたのです。
意識は回復しないまま帰らぬ人となりました・・・
家族・親族はI大学病院に猛抗議。
病院側の釈明は無かったそうです。
裁判も考えたそうですが、どんなに抗議したって、賠償金もらったって、なくなった命は戻ってきません。
私たちの家族は「医療費は1円たりとも払わないからな!」と病院側に言い、
ずっと払わずにいても病院からは何も音沙汰は無かったそうです。
これは間違いなく病院側は自らの非を認めていたんだろうと、私のママは言っていました。
私は今でも覚えています。
当時3才の私は、小さいながら涙は出なかったものの、棺に入ったおかあさんの姿・・・
今から釜に入れるという前の、棺に入れるお別れの花。
ママに抱っこされ、「おかあさんバイバイね。」と促されながら、訳もわからずお花を棺に入れた記憶・・・
釘打ちの儀・・・
大人になるにつれ、あれは葬儀だったんだとわかるようになりました。
大人になってから、おかあさんの死因を知り、悔しくて涙が止まりません。
おかあさんは、もちろん初孫ということもあり、私のことをとても可愛がってくれました。
離婚してからというものの、ママは
「片親だから・・・」
という偏見を、世間から絶対に見られたくないと、
私を常識のある子供に育てようといない父親の分までとてもとても厳しく育てられました。
それは、今であったら虐待並に厳しかったですよ(笑)
でも、昔の雷親父みたいなものですので当時は当たり前っちゃ当たり前でしたけど。
しょっちゅうママに怒鳴られる私に対して、
お母さんはいつも私をかばってくれました。
頭を殴られ泣きわめく私。
「もういいじゃない純子~」
嘘泣きして、お母さんのひざにうずくまる私に、
「あまやかさないでよ!どうせ嘘泣きなんだから!」
と蹴散らすママ。
こんな記憶も残ってます。
お母さんは、聡明な頭の切れるすごく仕事が出来るお母さんでした。
高校を中退し、私を産んだママに、
自分が面倒見てるからと、改めて学校にママを通わせました。
ママはその2年間で、調理師専門学校を卒業し、調理師免許を持ち、
19歳で大手ホテル系列のレストランの厨房で働き始めることが出来ました。
今でも調理師は続けていて、料理に関してはホントにプロですね。
ママもお母さんにはとても感謝しているそう。
働きづめで忙しいママの変わりに、
お母さんは遠足に付き添いに来てくれたり、
保育園に迎えに来てくれたり・・・ 本当に可愛がってくれました。
またこれは、先月おばあちゃん(ひぃばあちゃん)の葬儀があった際、親戚から聞いたことです。
「あなたのおばあちゃん(私が言うお母さん)はねぇ、入院してる間も、死に際までずーっとあなたのことを気にかけていたんだよ。自分の娘たち(ママたち)は心配ないけど、3才のあなたのことをとても心配していてねぇ、ママの戸籍からあなたのことを抜いて、自分の子供として育てることまで考えていたのよ。」
って。
正直な感想、どんだけいい人なの!?って思いました。
自分の娘は10代で私を産んだから、
まだまだこれからって時に子育てをしなくちゃならないのは、娘の人生、可能性の足かせになるからと、
私を養子として、自分の子供として育てれば、娘も自分の人生を全うできると考えていたのかと!
衝撃でしたね。
ただ一つ言えることは、
お母さんの子供として、なんの不自由もなく、甘やかされて育っていたら。
今の私はいないだろうと思ってます。
だからこれは必然なのだと。自分の人生に課せられた宿命だったんだと思ってます。
そりゃ、習い事とかやりたいことやらせてもらえなかったことは、今でもとっても悔やんでます。
もっと早くダンスレッスンしてれば今頃・・・とか。
でもそれも結局甘えに過ぎませんからね。
今、夢を諦めざるを得ない状況になるまでに、自分がやりきれなかっただけの結果だと、受け入れています。
お母さんが亡くなって23年。 当時私しかいなかった孫は6人に増えました。 おばあちゃんと天国で23年ぶりの再会でお母さんも喜んでるだろうなぁ。。。
にほんブログ村



