学力テストの前で朝から 「こわい、こわい」 というぽこ。
私は 「やった分だけしかできないんやから、自分の持っているものを
だすことだけ考えたらいい。こわくならんでいい」 と本人の感情を否認して説教する。
(よくある大人と同じ反応。。。。)
日課の漢字をしたり、私の買ってきた語彙の問題を一緒に少しやった。
ここで私が間違いを起こした。
前回の実力テストがかなり悪かったのを、じっくり話そうと思って伝えてなかったのだが、
おそらく私は内心、ぽこが「試験に対する心がけにかけていると」感じていたのだろう、
「この前」のテストは悪かったで」とつい言って点数を見せてしまった。
発破をかけることになればと思っていたが。
(それはこっちの思い込み。。。。)
本人はショックをうけたらしく、しばらく黙っていたが、
忽然とこちらに来て、泣いて言い分を私にぶつけてきた。。。
「テストの前にそんなん言われたらやる気なくなる」
「パパはいつも自分のことばっかり言って教えてぽこの意見を聞かない」
「パパが勉強教えるときは、鬼みたいや!」
「何でこんなんわからねんの!って言い方がきついねん」
「ママはテスト受けただけで励ましてくれるのに、パパは何にもいってくれへん」
「パパは頭いいかもしれんけど、ぽこは頭悪いねん。それを、「頭いい」って言わんといて」
「できるはずというけど、わからへんねん!」
「ぽこだって毎日、いややけど勉強してるのに、パパはいつもやってへんという」
「何をどこまでやったらいいのか教えて!」
「パパはいつもぽこにきつくいうから、パパはぽこのこと嫌いやと思う!」
これだけ言われても、なかなかわが子の気持ちは理解できにくい。
「本人は頑張っているとは思うが、他の子の頑張りとは違っている。頭が悪いのではなくやらないからできないのだ」 と思ってしまう気持ちがあり、なかなか共感できない。
泣きながら色々なことを言われていると、それはコンプレックスに触れるので、
私もだんだん傷つき落ち込んできて、暗くなり、話さなくなる。
言われているうちに、「俺はやはり子どもを(というか人を)愛することができないダメな人間かもしれない」「俺はきっと冷たい人間だ」「もうどうやって教えてもきっとうまくいかないだろう」 と落ち込んできて何も言えなくなる。
何も言わない私は、ぽこの見捨てられ不安をより強めることになり、
「なかなおりしてよ!もう、全部パパの言うとおりにするから」 とぽこは極端に
私に合わせようとしてくる。
こんな肛門期的な対応をされると、自分がそのようにして親の言いなりに生きてきただけに、そういう子にはなってほしくなかったと思い、自分の子育ての未熟さを思い、「親がそうだからしかたないよな」と思いつつ、悲しい気持ちになる。
自分をふり返ってみれば、口うるさい父に対して、思春期・青年期には全く愛情を感じることはなかった。いつも文句をいってくる父は多分私のことが嫌いで、私をつぶしたいのだろうなどと思っていたのを思い出す。私の方も、主観的には嫌悪感しかなかった。
そんなことが再びぽことの間で繰り返されるとは、何とも情けない。
自分では口出さないように気を付けているつもりだが、全く十分でないのだろう。
または、ぽこに対して、やはり肯定感が少ないのだろう。
父はいつも私に批判しかしなかったし、私も人に対して、そして自分に対して批判し続けているし、それがぽこに対してもどうしてもでてしまう。
そして、力はあるんだから、もう少しやればできるのに、と思ってしまう。
もちろん本人は、それはパパが勝手に押し付けたことで
「私は勉強できない。他のクラス子をみたらわかる。パパとは違うねん!」 という。
大人しかいない一人っ子の環境の中で、「自分はいつも大人にかなわない」とどこか思っているところがある。私との競争に意地になるのも、自分の劣等生を補償したいためだからかもしれない。丁寧に育ててきたつもりだったのに、ぽこにこのような劣等感が強く形成されてしまったとしたら、これは悲しいことである。世の中の家庭にはこのような悲劇がごまんとある。うちもそういう悲劇を起こしてしまっているかもしれない。
「こどもの個性を尊重しましょう」、というが、わが子が自分と違う人格を持つものとしっかりとみなすことが難しい。それは親密であり他人であることを同時に達成することが必要だ。
私は自分の人格の未成熟さのため、まだまだそれができきらない。
こんな風に自分を突き詰めていくのが肛門期的性格である。
家族の悲劇を起こさないために、私の場合、心理学があるのだが、その習得が年の割に追いついていない。