未曾有の出来事に遭われた皆様、手を差しのべてくださっている皆様に・・・


しあわせってなぁに?


未曾有の出来事から20日が経ちました。

私は仙台でも高台に住んでおりましたために、津波の被害を受けませんでした。

ただ、実家のある若林区は津波による甚大な被害を被りました。

あれから自分に何ができるのかわからないまま走り続けてきました。


ここ数日、東京の友人に助けられ、また、ぐるっぽを通じて多くの支援者の
方と知り合う機会に恵まれました。


そして、数多くの励ましのお言葉を頂戴し、今回、物資による実質的支援を
頂くことになりました。

これを機に、いちボランティアから組織化した支援体制をつくりたいと思い、
この場を活用することにしました。

食と福祉の仕事柄、在宅高齢者・障害者、母子・父子家庭を中心に、
緊急支援後の復興と継続的な支援をしていこうと考えております。

報道されている避難所には、物資もケアも届くようになりましたが、
小さな避難所や在宅での避難を余儀なくされている方たちには手が
届いていない状態が多く見受けれます。

どうかお手伝いしてくださる方がいらっしゃいましたらお知らせください。


「ぐるっぽ」ならびにメッセにてご連絡ください。お願いします。


しあわせってなぁに?  


「幸せ?」・・・

と聞かれたら、なんと答えますか?



ジェンダー・バイアスを持っているわけではないし、

むしろジェンダー・フリーを支持しているが、

「幸せ?」・・・という問いかけは、女性や子どもに似合うような気がする。




おとこが「幸せ」を求めて悪いわけわけではない。

ただ、「幸せ」を手に入れることができたとしたら、

それで本当に満足できるのだろうか。

そもそも、おとこにとっての「幸せ」とはなんぞや?・・・である。




 『幸せとは受けるべきもので、求めるべき性質のものではない』  
・・・志賀直哉


幸せとは求めたからといって得られるものではない。

 だが、人に与えることはできる。



 『この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ』   
・・・三島由紀夫


喜びを感じることができることは、最高に幸せなことではないだろうか。


  「幸せ」が自分だけのもので終わることのないように・・・


  「幸福感」が自己満足で終わることのないように・・・  


    『 汝、まず与えよ! さらば報われん! 』


しあわせってなぁに?


ひとはヒトとつながっていたい・・・

      『 結 』

   むすぶ、たばねる。

ある女性経営者が、数年前に 『 結ねっと 』 という市民団体を立ち上げました。



生活の 「安心・安全・快適」 を目指して、主に食の分野で活動をされています。

ともに 「きづき・まなび・つたえる」 というのがスタイルです。

そこでは、つくり手(生産者)とつかい手(消費者)が互いのことを気づき合い、

学びあい、そしてお互いのことを伝え合うという、一方通行ではない語り合いの場があります。

マーケットとしては、非常に小さなものですが、そこにあるのは互いを理解しようとする姿です。


互いを理解しようという姿

以来、事務局的なお手伝いをさせていただいています。
復活! しあわせってなぁに?



透明人間になりたいですか?

存在価値を認められない苦しみ


ドラえもんの道具のひとつに、これをかぶると、まるで道ばたの石ころのように、

誰からも気に留められなくなってしまう 『石ころぼうし』 というのがあって、

そこにいるのに、まったく存在を認めてもらえないという、そのあまりの辛さに、

のび太は最後に泣き出してしまう。

これって≪承認欲求≫が満たされない
究極の姿ですよね。


結局のところ、ひとはヒトとの係わり合いのなかで自分自身を発見したり、

ひとを認め、ヒトに認められることによって存在価値をみつけていく。



だれからも見えない、認められない、すがたの無い透明人間にはなりたくはない。


しあわせってなぁに?

マズローの「基本的欲求」第五段階
≪自己実現欲求≫=最上位欲求

自己実現・・「自己の資質や能力などを発展させ、より完全な自己を実現していくこと(大辞林)

自分らしく生きる

でも、ほとんどの人が自分らしい幸福感を得られないで苦しんでいます・・・。
わたしもそんな多勢の中の一人です。 けど・・・。

存在意義を見出せずに苦悩する人々が蔓延する社会がある一方で、
存在そのものを発露することなくいのちを失い、奪いあう世界が存在する。

なんのために生まれてくるのか・・自分の存在意義を探すため、

色即是空・・すべての存在(色)はこの世という仮の世からあの世(実の世界)に還っていく
空即是色・・あの世からまたこの世に生まれてくる

言葉を換えれば
色即是空・・この世の存在は空であり仮の姿である、「執着の思いを除け」
空即是色・・しかしこの世も仏の慈悲によって存在するのだ、「山川草木悉有仏性」


晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は かわらざりけり
                                          山岡鉄舟
山岡鉄舟「修身二十則」
幕末から明治時代に、武士道(もののふ)としての日本人の生き方を説いた剣・禅・書の達人。

自己実現=自分らしく生きる


でも、ほとんどの人が、本当の自分と出会うことができないでいる・・・。

それは、多くの場合≪承認欲求≫の段階で思いが満たされずに苦しむことが原因のようです。

自己実現とは、自分の長所を生かすことで他者とは違う自己を形成することであり、
自分が
この世に生きている意義が明確になった状態を≪自己実現≫というのではないでしょうか


煩悩の炎を鎮め、執着を断つことこそが生まれて存在を許される意味なのかもしれません。
しあわせってなぁに?

ありきたりだけれど、「お金?」「地位?」「名誉?」「権威?」・・・
パワー動機100%の10代後半から20代の始めの自分がいた。

でもって、みんなが羨むような「彼女」・・・「学歴」

人に認めてもらうこと・・・=他人の価値観に付き合うこと。  だった。

19歳の自分は、ほぼ予定通りのポジションにいた。  はずだった。

20歳の時、長男が生まれた。 
学生同士、未婚の母と父・・・。

何度か赤ん坊を連れ立って波乗りに出かけた。  
浜辺には、パラソル、読書する妻と穏やかに眠る息子・・・波打ちぎわを走る愛犬。
アメリカ映画に出てくるシーンそのものだった。

しかし、飛脚便や冬の日本海での漁師もどきのアルバイトで月日が流れていった。

マズローの「基本的欲求」には五つの段階があり、まず、≪生理的欲求≫で泣き出す。 
おっぱい~ (。>0<。)
  が、それである。
で、おなかがいっぱいになると≪安全欲求≫がくる。 
まま、パパの腕の中で スヤスヤ~ (@ ̄ρ ̄@)zzz  となる。

成長と共に、「僕はね、〇△□組なんだヨ」とか「〇〇ちゃんが好き」といった、自我と
≪所属・愛情欲求≫が出てくる。

それから先は、「ぼくもボードに立てたよ」とか「波がおおきかったけど、平気だったヨ」
というような≪承認欲求≫が出てくる。

おとこの子はこれが結構たいへん!

女の子は、生まれながらにオンナである。 母性をもったオンナとして生まれ、妻・母となり
生涯をおくるが、おとこの子は、赤ん坊として生まれ、生涯を通して母から生まれた子ども
のまま生涯を閉じる・・・。

オトコとして認めてもらう儀式が必要なのだ。    つづく






ブログ創めます!

最近、「幸福の〇〇」とか「幸福~」の文字が気になりだした。

自分の年齢からして、「何をいまさら・・・」と、いった感が無いわけではないが、身内の死や最近の
社会情勢 etcを考えると、子供じみてはいるが 『しあわせってなぁに?』 と問いかけたくなったのだ。

今の世の中、天才バカボンのパパでさえ『これでいいのだ!』 と言ってくれそうも無い。


ならば 「自分で探すしか方法は無い。」 しかも 「軌跡を残そう。」 と・・・。

最大の理由は、買物ついでに立ち寄った本屋で ( 本当は買いたい本、見たい本があったのだが )
いつになく優しい声で、妻が『あなた!この本を読んだら?』
『気に入らないかも知れないけど、貴方に必要かも・・・』 と、( にこッと ('-^*) 付で ) 薦められた本が
きっかけになったのだが・・・。

=ジーパンをはく中年は幸せになれない=津田秀樹/著

帯には、「ムッとしないで まず読んでほしい」 とあった。  
・・・間違いなくムッときた!

だが待て! 妻と私は90度くらい趣味嗜好、思考傾向、好みが違う。  
・・・もちろん読む本の傾向も、新聞記事の読む欄も違う。

・・・本を勧めることなどありえない。

【 ちなみに妻はA型、子供たち( 6人いるが、すべてA型 )とも傾向がちがう・・・わたし一人がO型 】・・・?
理由はここにもあるらしい・・・?

しかし、なぜか、どういうわけか、今回は腹も立たず。 

妻の言葉に素直に従ってみようと・・・。

    自分の年齢になじめない  とある。

俺の好きな「白州次郎」だって、晩年、Gパンを穿いていた。 それがなぜ悪い。

    若さにしがみつかないようにして、中年期ならではの素敵な生き方を模索する。  とある。

素敵な生き方ってなあに?=しあわせってなあに? ・・・という訳。