お雛様の想い出 | tokkiynaのブログ

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毎日の暮らしを綴ります

おひなさま


母は今で言う シングル・マザーで私と弟 2人の子供を女手一つで
育てました・・・・


私が生まれた時 父はとてもその時代としては裕福だったらしく
(昔の写真を見ると とても品の良い服装をしている・・)



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私の誕生を父はとても喜んで 立派な お雛様一式があった

飾るのも 仕舞うのもとても大変だと 母はよくこぼしていた


小学校の頃はクラスメートを少人数ながら家に呼び
お菓子や 食事会等をしてくれた お雛様


わたしが 二十歳になった頃 ある日突然 
『 おひなさまは一揃い全て 福祉施設に寄贈したから!・・』
母は毅然として言い放った
飾るのも 仕舞うのも 手伝った事の無い私は
『 その方が いいかな~ 沢山の人が喜んでくれるから・・・』と返事した


3歳 年下の弟が生まれた頃からは 父との写真は1枚も無かった

今を思えば 父はその頃 とても若く美しい恋人が出来て
その人と事業を発展させていった様だった


私が20歳代後半の時 ある日突然 母に 母の親戚の人から電話があり
その 父が癌に侵されて 東京に来ている 
一目 娘に逢いたがっているので 逢ってやってくれないか?
そんな 内容だった ℡*


私は 母の苦労もよく解っていたので
『 私には 父と言う人はいません 今更 逢いたいと思わないわ
  逢ってもしょうがないでしょう・・・』 と 言っておいた


その後 1ヶ月位経った頃 今度は 母が
『 よ~く考えたら 私が逢いたいから 一緒に行ってくれない?』
と切り出してきた
(あ~ 母も本当は逢いたいんだな!)と思った
 死んでしまったら 逢う事も 話をする事も出来ないんだから・・
・・・どーしたら良いかと思い悩んでいた


父は私に一目逢いたくって 赤坂のホテルで待機していたらしい

父と 私たち母子が逢うセッティングがされた
場所は 赤坂の 有名なホテルで・・・

母と2人でホテルに出かけていった・・
(弟は何故かその旨の連絡を母はしなかった・・・・
 そのことを母に聞くと
 アノ子は東京に居ないし ・・いいのよ  と言う返事だった)


その時の事は 映画の一場面の様に 印象深く覚えている


父は 病人の様でもなく 背筋を真っ直ぐにして ラウンジの中で座って
微笑んで迎えてくれた
隣に 美しい女性が座っていた
(その女性が母の後に縁のあった人で 彼女にも2人の男の子がいるらしかった)

彼女はよく 赤いスポーツカーに乗り仕事の為 上京している様だった
(子供の頃 寝ていると 隣の部屋で母と親戚の人が話しているのを
 聞いたことがあった )


父は 私を見ると 
『 一病息災とはよく言うけれど 生まれて初めて具合が悪くなって
 初めて病院という所へ行ったら 癌 と言われて それで
 がんセンターに来たんだよ』

『その後 1ヶ月このホテルで逢いに来てくれるのを待って居たんだよ・・』


・・・・この言葉で 不覚にも涙が

      ボロボロッと言う感じで出てきた


父という人は それまで 写真でしか 見たことが無かった
・・・けれど その時 昔の写真のまんまで ちょっと不思議な感じがした
病人の様には 見えなかった


私の住んでいる世界とは 違う世界の人のようだった

・・・・おひなさまの 想い出でした・・・


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その後 何ヶ月か後に 父は他界したようだった
知らせはこなかった


・・・財産を放棄する様に 連絡があった様で
・・・私たち(私と弟)はすぐ 放棄した
・・・財産は 1人に 億という位ある! と 言う事だった
・・・別の世界の事だから なんとも 思わなかった


・・・私の人生のなかの 一つのエピソード・・・・でした