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卵巣癌になってから、浮いたり沈んだり。
そんな日々のことを綴っています。
卵巣癌のことで泣いたのは、たぶん4回。
1回目は、市立病院を受診して、内診で充実部があると言われた日。夫にメールで報告。
帰ってきた夫は落ち込んでいて、トイレや洗面所へ行っては鼻をすすって帰ってきた。
私はというと、検査もまだだし、結果がきちんとでるまでは落ち込みたくないという思いで、不正出血のときから報告してる母にもまだマイナスなことは言いたくないという気持ちでした。
でも、夫が母に「悪いものの可能性もあるから」とメールしたと言ってきて。
実家は離れているので、顔を見にすぐ来れるところではなく心配かけたくなかったのにと涙があふれました。
2回目はMRIの結果から卵巣癌の疑いと告げられたとき。MRIの画像を見ながら説明を受けながら「あー、やっぱり癌だったんだー」と思うとポロポロ涙がこぼれました。
一緒に結果を聞きに来てくれていた夫は気丈にふるまい、支えてくれました。その日は何度も波がきたなぁ。
3回目は病理検査の結果を聞いたとき。
手術前も手術後も、早期発見だったから1a期だろう、追加の抗がん剤治療はしなくてもいいと思うと聞かされていました。でも病理検査の結果、「明細胞癌」だとわかり、明細胞癌は抗がん剤が効きにくいから、再発したらタチが悪い、だから見えない世界でのものをつぶすために抗がん剤治療をすると言われました。
抗がん剤=脱毛などの副作用がある、手術を頑張れば終わりだと思っていたのにと絶望的になり、また話を聞きながらポロポロ。
再発が怖いとすごくすごく思いました。
告知されたときよりも子どもたちの成長がまだまだ見たいのに私はどうなるの?とかなり落ち込みました。
4回目は、父と兄夫妻がお見舞いに来てくれたとき。
術後、病理検査の結果も聞いたあと、父と兄夫妻がお見舞いに来てくれました。抗がん剤治療を受けることは覚悟を決めていたけど、まだウィッグのカタログすら見ることもできないぐらいの覚悟で、髪はまたはえてくるけどやっぱり嫌やなぁと話しながら涙が出ました。
私の中で、抗がん剤治療の副作用で一番嫌だったのは脱毛でした。
実際は抜け始めた数日はブルーでしたが、薄くなった自分の頭を家族に笑って「見て見てー。」と言える私です(´□`;)
多いか少ないかわからないけど、もう病気のことで涙することがないことを強く強く祈ります
