
食べログ?で1位のお店らしいです
実際とっても美味しい
絶妙な秘伝のタレがとっても上品で
中はふわっふわっなのに周りは香ばしく
焼かれた身が堪りません
この日は平日のお昼で
待ち時間は10分ぐらい
休日は3時間待ち覚悟らしいです
好みもありますが私は
ふわっふわっやわらかい
焼き加減であれば関西風好きです
でも3時間待ちは無理かな。。
主人の会社の方達は名前を書いたら
ゴルフの打ちっ放しに行くなんて強者も
好みもありますが私が食べた中では
某店とならびNo.1です
オススメですが待ち時間は覚悟で是非


標高329メートル金華山の麓に
そびえる岐阜城
そして若かりし頃の織田信長像
めちゃカッコいい
こちらの銅像横の大手門をくぐり
岐阜公園の中へ
公園内から金華山ロープウェイで
山頂の岐阜城まで3分
ですが
GWはロープウェイが1時間待ち
でも有難いことに整理券が配布され
その間に公園内を散策です
この日は曇り時々晴れ間のような天候
でしたがとっても美しい眺めの池
池の横には
山内一豊と千代の婚礼の地碑
織田信長に支えていた山内一豊が
千代と婚礼をあげたのがこの岐阜城下
千代は戦国時代を代表する内助の功で
有名です
さらに池の奥地へ進んでいくと
板垣退助の銅像
自由民権運動の推進者
明治15年この地での演説を終えての帰り道
暴漢に襲われ負傷しました
板垣死すとも自由は死せず
この有名な言葉はこちらで生まれたことば
板垣退助遭難事件
そして岐阜城といえばやはり織田信長
ということでかつて約10年住んでいた
織田信長公の居館跡へ
岐阜城のはじまりは
鎌倉時代1201年
二階堂行政によって造られ
元々「稲葉山城」と呼ばれていた
その後の戦国時代下剋上で有名なのは
「国盗り物語」に出てくる斎藤道三
斎藤道三が仕官していた長井氏を倒し
守護代の斎藤氏を倒し
美濃の守護である土岐氏を追い出し
美濃の大名となりました
こうして道三は稲葉山城に入り
再びお城を作って城下町を築く
子供の義龍
孫の龍興の三代まで続いた
1567年斎藤龍興を倒したのが織田信長
小松城から稲葉山城へ入ってきた
井口(いのくち)と呼ばれていたこの町を
岐阜と改めお城も改名しました
楽市楽座をつくり大きな街に発展
していきました
昭和59年〜発掘調査が進められており
一帯を千畳敷と呼んでいる
日本一の武将である織田信長
焼き討ちを行ったりとても冷たい印象
ですが、この地にいた間は
おもてなしをしていたことで有名
山間にある朱塗りの塔 三重塔は
大正天皇の即位を記念して造られたもの
高さは22メートルで
こちらのランドマークとなっています
金華山は全山岩で出来ており
巨岩・巨石がたくさんあります
三重塔の手前には
35メートルもの大きな岩盤があり
信長の時代には2本の滝が落ちていて
その滝の前には池があり、池の向こう側
こちら側両方にお屋敷が建っていた
当時の様子を再現したCG画
自慢のお屋敷と庭園だったのでしょう
標高329メートル
金華山ロープウェイ山頂駅
岐阜城はここから歩いて7分
ちょうどお昼でしたので
先に展望レストランで腹ごしらえです
展望レストランまでの階段はかなり急で
段差もありお尻がヒクヒクでした
はい、こちらでも30分以上待ちました
いただいのは高山ラーメン
極細ちぢれ麺が特徴のシンプルなお味
が美味しくてお土産も購入
このあと更に登っていきますよ
見えました!天守閣
ここから更に110メートル
昭和31年に復元された天守閣(二代目)
高さが17.7メートル
三層四階の天守閣
通常城主というのは麓の館にいる
そうですが、信長は常日頃この天守閣に
いたそうです。天下統一を目指して
この天守閣から一面の濃尾平野を
眺めていたのかもしれませんね
展望階からの眺めは360度見渡せます
天守閣の3Fまでは資料館
4Fは展望階です
安土城をつくり自分の嫡男信忠に岐阜城を
渡して安土城へ行く
1600年関ヶ原の戦い三法師秀信が
城主の時、西軍についた
東軍の池田輝政・福島正則らに
攻められ落城
織田秀信は高野山へ追放
家臣38人はお城の中で自害・切腹した
翌年1601年に廃城となりました
発掘調査によって発見された
当時の瓦のレプリカ
山麓居館の屋根の棟飾りには金箔が施され
菊と牡丹の瓦が使われていたそう
木造の織田信長の座像
今回のお城巡りもとても楽しかった
tea time
名古屋へ行くと帰りによく
こちらでお茶します
サロン・ド・モンシェールさん
苺のモンブラン最高でした
頂き物のアンダーズ東京さんのチョコ
すっごくスタイリッシュでお洒落
でもここだけの話。。。
好みの問題かもしれませんが風味が微妙