大切な人が誰かを憎んでいる・・とても悲しいことだと思います。
傷つけられても、馬鹿にされても、人の温かい部分を信じられる。
私の大切な人もそうであってほしい。悲しいことがあるたびに心をにごらせないで、優しさや温かみ、楽しさに心の目を向けられたら、とても素敵なことだと、最近思います。
何かを大切に思うほど、誰かを傷つけたり、譲れなくなったりすることがあります。子を守る母鳥のように、攻撃的になってしまう・・。怒ったり、泣いたり、感情が暴走するとき、その心の底に流れているものとして「大切な何かを護る心」があるような気がしてなりません。誰だって何か・誰かのために、何かをしている。ほとんどの物事には、相手からは見えない事情がある。
そのとき人ができるのは人を許すことだと思います。「やりかえしてやる」、「いつかみかえしてやる」とかじゃなくて、見えない事情までみとおして包み込むこと。許せる心というのは、いいものだなと。
村上春樹の短編「沈黙」を思い出したので少しお話しようと思います。
これは主人公があるひとりの人間の陰謀のために大多数の人間の敵になり、苦しむお話です。
突然周りの人間が(何の理由もなく)敵になってしまう・・その理不尽さと誰しも遭遇する可能性はあります。
主人公を救ったのはボクシングでした。ぜったいに負けてはならない、と自分に言い聞かせ、泥のなかをはいあがります。彼はボクシングをつうじて人のもつ「深み」を意識していました。彼が恐ろしいと思ったのは、陰謀をはたらかした人物ではなく、彼の陰謀にのせられたその他大勢の人々でした。何も自分で考えはせず、やっていることに責任は取らない。その「浅さ」を彼は恐れたのです。
私はこの作品をよんで人というものは怖いと思いました。だけど、憎むのではなくて、もっと違うやり方がきっとあるはずだとも思いました。耐えるのはとても辛いことだけど、悔しいことだけど、それ以外にも、皆が分かり合える方法があるはずだと。それが「許す」ことだと思います。自分の怒りを許すこと、相手を許すことは、譲れないもの、大切なものと関われば関わっているほどとても難しいことですね・・許すということは憎むよりも難しいのでしょう。
どうか自分を大切に、自分を思ってくれる誰かを大切にと思う日々です。
