私は昭和41年5月13日に大阪と兵庫県の県境、尼崎市駅前の某産院にて、午前8時に生をうけました。

以前、母親から聞いていたのは生まれる前から私は胎動も弱く、産まれてからも母乳もミルクも受けつけず、身体も弱かったそうです。

その頃は両親は大阪の大正区に住んでいたので、私も3才くらいまでは大阪の大正区近辺を転々としながらもそこで育ち、3才からは現在の居住地・岸和田市に転居するまで身体が弱いながらも、普通の生活はしていたとは思いますが、種痘の予防接種受けてしばらくしたら、髄膜炎を起こして、夜中に大阪中津にある、済生会病院に緊急入院したりとあったりして、全く本人は覚えがないのですが、まぁ、将来は透析生活を送ろうとは誰一人として想像してなかったでしょう。

でも、今、思えば生まれた時から何やかんやと沢山病院通う私は生まれつき腎臓に奇形で生まれたと分かった中学2年の夏休みの腎生検を受けるまでは誰一人分からなかったとは言え、やはり生まれた時から身体が弱かったのはそれのせい?と言わざるをえなかったのかも。