いろいろあった都知事選も終わり話題にあがるのは、無名の新人ながら第2位と健闘した石丸伸二氏である。

 

石丸氏に対する批評は賛否分かれるものの「今までにないタイプ」という意味では一致している。

本当に今までに無い新しい存在なのか?

 

SNSを通じて支持者を拡大していく方法は今時ともいえるが、ほかの候補者もSNSを利用していたのだから違いはない。

 

今風に言えば、コンテンツの違いだろう。

 

彼を支持するのは若い世代とされているが、おそらく氷河期世代から下の世代と考えられる。自分の力ではどうにもならない経済格差の中で鬱屈した人生を送っている人たち。

 

そして、もう一つ特徴的なのは、一見成功者と思われる人たちからも支持が広がっていること。

 

ドトールの会長が選挙費用をいくらでも出すと早い段階で支持を表明。

ホリエモンも支持という言葉は使わないものの、石丸叩きについては異を唱えて彼を擁護している。

 

はっきり言ってしまえば、金銭的に成功している反面、日本社会の中枢には入れてもらえない人たちである。

 

政界、財界、マスメディアの中枢の連中に噛みついていく石丸氏の姿は非情に心地よいものだと思う。

 

既得権に居座っている連中をどうにかしてやろうと思う人が石丸支持者になっていったようだ。

 

そして、今の価値観に違和感を抱いている層にも受けている。

 

高齢者、経済的困窮者、身体障碍などの社会的弱者にたいする考え方が明らかに変化している。

以前は守るべきもの、敬意を払って当たり前の存在が、いまは、自分たちの生活を脅かす邪魔な存在として捉えられている。

 

社会的弱者に対する保護政策をことごとく批判し、社会悪として断じる。

そういった考えの人たちも石丸支持者といえる。

 

テレビ番組の議論中に飛び出した「女こども」「一夫多妻制度」は彼の人間性を見る象徴的な言葉である。

 

支持者たちは、「誰に対しても公平な態度だ」「切り抜きの揚げ足とり」「今やるとは言っていない。」「100年後には、そういった考え方も必要になるかもしれない。」「批判している連中は、今しか見ていない頭の悪い人」と言って彼を擁護している。

 

石丸氏の考え方は、明らかに「優性思想」に他ならない。

 

一夫多妻制度は、権力者が後継者を確保するための制度で、一般庶民が一夫多妻を認められたことなどない。また、イスラム諸国で、夫が戦死して未亡人になった女性を救済する意味で金持ちが多くの妻を持つという場合もある。

 

いずれにしても、子どもの数を増やすためのものではなく、逆に「選ばれし子」を作るための手法である。

 

少子化対策で一夫多妻を考えた場合、そこにあるのは、「女は子どもを生むための道具」であり、一夫になるのは選ばれたエリートという思想です。つまり、「おんなこども」は彼の思想の中にある自然な言葉です。

 

その証拠に、石丸氏が攻撃するのは、彼の価値観から見た「劣性」なる人たちである。

その相手が、政治家でも、マスコミでも元アイドルの女性でも、こども議会に参加している生徒でも関係ないのです。

 

その逆に、自分の思想に合致する人、共鳴してくれる相手、言い換えれば、「優性」なる人たちに対しては、非情に丁寧で優しい対応をする。

 

ネット支持者にとっては、それが非常に心地よいのです。

自分も、同じように「優性」なるものであると錯覚できるからでしょう。

 

今の社会環境で鬱屈している人が彼を支持するのは、そういった背景があるかもしれません。

 

そして、石丸氏は今までいない新しい存在ではない。

むしろ、歴史上時折登場する人たちと同類の人間かもしれません